発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

早く自立がしたい。30歳でまだこの程度なのか!!ヒロ

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僕は「自分は本当にダメな人間で生きていてはいけない。」と思っていました。

10代の終わりころです。

 

 

何をやってもダメなんです。

 

 

アルバイトは実に100社受けて、3社しか合格しませんでした。

ありえない話だと思うでしょう。

でも本当の話です。

 

 

 

その3社とも全て首を切られました。

つまり「お前はこんな簡単な仕事でも、やれない人間。つまりクズなんだ。」と烙印を押されたも同然です。

 

 

それで性根付きて、名古屋港へ飛び込みました。

 

 

サポートセンターのスタッフたちは一所懸命に頭をひねり考えてくれました。

どうしたらこの程度の悪いアスペルガーな少年に、自信を獲得させられるのかと。

 

 

 

で、「思い切って環境を変えてみよう?」となったのでした。

支援に置いて「環境を変える」ということは、別に目新しいことではないそうです。

しかも、日本から遠く離れた外国で支援をしている人たちは結構いるそうです。

 

 

このフィリピンにもいるそうですよ。

ただ、「外国で個別支援となると聞いたとこがない。」と青木さんは言います。

 

 

まあ俺の場合も両親は驚きましたよ。

でもこのままなら、家族に迷惑をかけることは間違いないと判断した父親は、外国に行くことに同意した。

 

 

「環境を変えること。」

全く俺はそのことにハマった。

フィリピンの環境が俺にあったんだ。

 

 

 

どんどん成長して行く俺を見て、サポートセンターのスタッフたちは「環境を変えること」が当たったと確信したんだろうな。

 

 

しかしだ。

外国の高校と大学を出たにも関わらず、その後すんなりとはいかなかった俺だ。

自分が想像した以上にダメだった。

 

 

もう少し状況はよくなっているのではないかと思った俺だが、現実はそうではなかった。

手が届くところにある雇用条件が書き込まれた書類だが、今の僕には無縁な世界だ。

 

 

それが悔しいんだ。

まだまだ僕が目指す段階には、圧倒的な差がある。

どうしたらその差を埋めていけられるのか。

 

 

もう社会に出て行く時だというのに。

まだまだ僕は知らなければいけないことが山ほどあるんだ。

仕事をしながら学んで行くという方法は、僕にはとても難しいような気がする。

 

 

学生時代の時とは違うんだ。

社会人になったらそれなりの責任というものが出てくるんだ。

僕は自分の将来を考えた時、絶望的な気持ちになった。

 

 

もう30歳になってしまっているんだ。

 

 

 

早く自立がしたい。

 

 

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