発達障害な僕たちから

発達障害と診断された、ヒロ・アオキとその仲間達が日常生活での生きづらさや奮闘を素直に綴っていきます。よろしくお願いします。

こんな僕だけれど、自分自身を愛したいと思った時。東大

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昨日は大学の試験の最終日でした。

帰宅したら疲れがどっと出てしまいました。

ヒロさん、ありがとう。

 

 

続きを書きたいと思います。

 

 

僕はホテルで朝食を売っていた少年のことを特別な感情では見ていなかった。

と言うより、彼を知っても何も感じなかった。

だから、僕の中には彼の存在はなかったんだ。

 

 

僕が毎日考えていたこと。

「どうして30年間もひきこもってしまったんだろうか。」そしてそこから生まれる負の感情を、どうしたら消し去ることができるのかということに、考えを巡らせていた。

 

 

しかし、どんなに考えても何も浮かんではこない。

結局こうなったのは家族のせいだと、犯人探しをしてしまうのだが、両親を憎むことは僕にはできなかった。

 

 

だからその憎しみの刃を自分自身に向けていたんだと思う。

50歳を過ぎたら、自分で自分の存在を消し去ろうとも考えていた。

結局それすら実行に移すことができなかったのだが。

 

 

そんなことばかりを一日中考えていた。

だから、フィリピンに来ても楽しむことなんかできるはずがない。

 

 

スタッフたちからの「笑ってください!!」という優しさも僕にはひどい騒音に変わって来ていた。

 

 

そんな時にあの少年と出会った。

僕がスタッフとの朝の散歩を終えて、ホテルに帰ろうとしていた時に、少年と道ですれ違った。

 

 

彼は足に障害を持っているので、足を引きずるように歩く。

ゆっくりとしか歩けない。

 

 

その彼を視界の中にとらえた時、僕はいけないものを見てしまったかのように、意識的に目をそらした。

そのまま彼とすれちがうかと思った時に、その少年が僕に言ったんだ。

 

「オハヨウゴザイマス。」そしてタガログ語で何かを話した。

どうせ「パンを買ってください」とでも言ったのだろうと、ポケットの小銭に手をやったとき、スタッフが通訳してくれたんだ。

 

 

 

「今日も一日、あなたにとって素敵な一日でありますように!!」

 

 

 

不意をつかれたというのはこういうことをいうのだろうか。

全く予期せぬことを相手から言われたので、僕の頭は混乱してしまった。

スタッフには体調が優れないと朝食を断って、部屋でじっとしていた。

 

 

心を射抜かれたかのようだった。

 

 

「自分を愛せない人には他人を受け入れることができない。」どこかで読んだ本の一説を思い出した。

 

 

少年は今の自分自身の状況を受け入れている。

だから相手のことを思いやることができるのか。

 

 

僕は自分を否定している。

全否定している僕には、他者を思いやるという共感力は持ち得ていない。

 

 

取るに足らないと思っていた1人の障害を持った少年。

その存在が自分の中でとても大きくなっていた。

 

 

顔にひどいあざがある。

足をひきづっている。

両親に捨てられて、今は祖母との二人暮らし。

 

 

小学校もろくに行っていない。

でも、彼は毎日小さな職場で笑顔をたくさんの人たちに分けている。

 

 

僕は毎日自分がひきこもったことをだれかのせいにできないかと考え続けていた。

 

 

2人の違い。

 

 

このことは僕に大きな示唆を与えてくれた。

 

 

少なくとも、「もう昔のことを思い返すことはやめにしたい。」と、その時思ったことを思い出す。

 

 

明日またよろしくお願いします。

 

 

 

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