発達障害な僕たちから

発達障害と診断された、ヒロ・アオキとその仲間達が日常生活での生きづらさや奮闘を素直に綴っていきます。よろしくお願いします。

障害を持った少年の生き様に僕は生きる力を与えられた。東大

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僕にとって初めての海外は「フィリピン」だった。

一般的に、初めての海外は「ハワイ」や「台湾」「韓国」あたりだろうか。

 

 

そのフィリピンも、3年前くらいから、大学生の休みを利用した英会話練習の受講者がとても増えている。

 

 

それでも春、夏だけの一時的なもので、他の季節はやはりフィリピンパブで出会った女性を追いかける中年男性がほとんどです。

 

 

フィリピンに対する日本人の印象も未だに変わらない気がします。

 

 

「フィリピンで働いています。」とだれかに言おうものなら、「えっ、フィリピンですか」と少しトーンを下げて話される気がします。

 

 

未だに、海外ビーチリゾートの特集パンフレットでは「セブ」は白黒で最後に2ページ程度で特集されていたりもする。

 

 

確かに、ビーチリゾートとは呼べないほどお粗末な場所ですからね。

 

 

フィリピンに行ったことがない人たちの印象は「悪臭を放つゴミ山」と「犯罪者が逃げ込む場所」。

 

 

そんな場所に僕は「気分転換に行きませんか」と言われたものだから、とても不安になった。

 

 

 

僕の最初のフィリピンでの日程は2週間の滞在だった。

2週間我慢すれば日本に帰国できる。

そんな程度の気持ちで向かったフィリピン。

 

 

その2週間の滞在で驚いたことがあった。

それは30年間ひきこもらざるをえなかった僕の人生を変えてしまうくらい大きなものだった。

 

 

一言で言うなら、「価値観の転換をした。」

頑なに自分を否定していた僕が「いや、僕はまだ大丈夫なんだ。」とそう感じた。

 

 

その気持ちは「大丈夫なのかな。」から始まり「大丈夫なような気がする。」

そして「大丈夫に違いない。」と時間と共に変化していった。

 

 

一瞬で全てが変わったわけではない。

 

 

正直に言わないといけないが、昨年までは、「また、昔の自分に戻ってしまうのではないか」という、漠然とした不安がまだあった。

 

 

何が「僕はまだ大丈夫だ。」という気持ちに変えたのか。

 

 

それはある出来事だった。

 

 

2週間の滞在はホテルだった。

サポートセンターは事務所近くのホテルをよくゲストのために使っていた。

僕は、朝早く起きて町を散歩したかった。

日本ではできなかったから。

 

 

ホテルのロビーで1人の少年がホテルの従業員や宿泊者にパンやお惣菜を朝食として売っていた。

年の頃は15歳くらい。

 

 

長年やっているのだろうか、ホテルスタッフとも和気藹々に会話をしている。

 

 

パンを一個買ってくれるたびに、お客さんに何か一言言っている。

言われたお客さんは笑顔で立ち去っていく。

 

 

その少年は生まれつきだろうかひどい障害がある。

 

 

足が曲がっている。

足をすって歩くしかできないので、靴には何箇所も修繕したあとがある。

顔にはひどい痣がある。

 

 

そんなことは何も気にしていないように少年は明るく、一生懸命に朝食を売る。

 

 

ある日、僕はスタッフと一緒に朝の散歩に出かけた。

ホテルへの帰り道その彼とすれ違った。

 

 

その時彼が僕にこう言った。

「オハヨウゴザイマス。」あとはタガログ語だったのでわからなかった。

 

 

スタッフが通訳してくれた。

「今日も一日、あなたにとって素敵な一日でありますように!!」

 

 

彼は僕の目を見て微笑んでそう言った。

僕は彼を直視できなかった。

 

 

そして僕は自分の部屋に戻って泣いた。

 

 

 明日に続きます。

 

 

 

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