発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

変わることに不安を覚えていた僕。東大

 

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 5年前フィリピンのホテルにチッエクイン。キョトンとしてしている僕。

 

 

特訓。

僕はそう感じていました。

 

 

30年ひきこもっていた僕にはそれはとても過酷なものでした。

年齢は50代でしたが、中身は小学生レベルでした。

 

 

それを実年齢まで引き上げるのです。

期間は5年程度。

 

 

それ以前に、まずは気持ちを引き上げないといけません。

つまり、やる気を出すようにさせるのです。

 

 

30年間ひきこもっていた僕です。

30年間、家族以外誰ともあっていない僕です。

それほど不安が強くなっていた僕の気持ちを変える。

 

 

それも色々なことにチャレンジするまでにあげるのです。

30年間ですよ。

30年間。

 

 

そんな人をわずか5年でなんとかするなんて、僕には考えられませんね。

 

 

「どうして支援期間を10年とかに設定しないのですか」と青木に聞きました。

 

 

「当事者が10年間も我慢できないでしょう。」

「長くみても、5年で当事者にはっきりと変わったと思ってもらわないといけないんですよ。」

 

 

「そんなものなのですね。」

 

 

「では、僕はサポートセンターから見て、当初の予定どうりだったんでしょうか。」

 

「計画以上の回復をもたらしていると僕たちは見ています。」

 

 

「計画と結果の1番の因果関係はなんでしょうか。」

「それは色々な要因がありますね。」

「あなたのように学ぶ力がとてもあることは、回復に際して大きな効果がありましたね。」

 

 

 

「変わろうと決断することは、当事者にとってみれば、とても難しいことです。」

 

 

「散々、希望を無くしてきた人です。それこそ気力をふり絞って、もう一度頑張ろうと決断しても、結果がダメだったらと考えてしまうのです。」

 

 

「もう一度、頑張ってもダメだったということがはっきりすれば、それは当事者にとって死刑宣告に近いものがあるんじゃないですか。」

 

 

「だったら、やらないという選択にしたら、いつかはなんとかなるという希望を持ち続けることができるじゃないですか。」

 

 

「だから、僕たちが必死に環境を調整しても、やらないという選択をしてしまうのですよ。」

 

 

青木のこの見方は、とてもよくわかりました。

というより、僕自身がそうだったのです。

やらないで良いという理由をいつも考えていた僕です。

 

 

 

フィリピンに移住を決意しても、なかなか素直に周りのスタッフのアドバイスに耳を傾けなかった僕です。

 

 

そんな僕が変わっていくのです。

そのことを書いていきたいです。

その先に僕の婚活が待っているのです。

 

 

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