♪〜 ラジオ体操第一、さあご一緒に、腕を横から前に1、2、3・・・
僕は中学の時にみんなと違う自分を意識しました。
じーっと椅子に座って授業を聞きづけるのはとても苦手でした。
でも、自分の好きな事となると苦痛ではなくなる事もわかっていました。
クラスの同級生たちの会話のスピードがとても早くて、追いつけなかったことを今でもよく覚えています。
必死についていこうともしましたが、途中でやめました。
そんな努力がとても疲れたのです。
だんだんとクラスのみんなと自分との間に溝ができてしまいました。
でもその溝はクラスのみんなが僕に対して作ったのではなく、僕が勝手に感じただけのことなのです。
まあ中学生の時にはそこまで冷静に考えることはできなかったですが。
じゃあ中学の時どうすればよかったんだろう。
青木さんに尋ねてみました。
答えは、やはり青木さんのような人が僕についてくれていて、その日学校であったことをシェアして、色々と指示をくれて、僕の足りないところを埋めるためのプログラムを作り、それを毎日淡々とこなしていく。
そういった事が僕の中学時代の生活の中に組み込まれない限り、いずれ学校に登校できなくなっていたでしょう。
中学校でなんとかギリギリ乗り越えられたとしても、高校でつまづいていただろう、高校でなんとかとなったとしても大学や就活で同じようにつまづいていただろう。
僕は中学でつまづいたということ。
僕には支援が必要だったが、誰も支援をしてくれなかったことで、ひきこもりの年数は20年となってしまった。
そんな風に僕のこの20年を眺めてみたら、問題は複雑ではなくて、以外にシンプルな事に気づき驚きます。
何も大の大人が頭を傾げて、一体全体どうしてこんな人たちが出てくるんだって深刻に考えこむ必要ないんだと思うんです。
でも今の世の中、問題を複雑にしようとしている人が多いんじゃないかと感じてしまいます。
先日もあるひきこもり評論家という方が書かれた記事を読みました。
僕の感想はたった1人の事例を出してこうだと決めつけるのはおかしいという事です。
同じような意見の人がコメント欄に多くみられました。
当事者からの話だけ聞いて書くのではなく、色々な角度からその問題を調べて記事にしないと公正な記事はかけないのではないかと思いました。
やはりコメント欄には僕と同じ意見が溢れていました。
その人の記事が他にも閲覧できましたので、読みましが、いづれも同じような手法で記事を書いていました。
青木さんに意見を求めました。
「暇だな。もっと自分の為に時間を使いなさい。」と怒られました。
ですから、本日限りでインターネットで見た記事には反応しないことを決めました。
でも最後に青木さんが、「君の見方は正しい。でも批判は他の人に任せておいてい、自分のことだけを考えていこうよ。」と言ってくれましので、少しホットしました。
また明日です。
ヒロさん引き続きダウンです。
週明けから復帰でしょうか。
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