辛い時代を生き抜いて来た戦士たち。
僕は程度の悪いアスペルガー。
程度の悪いというのは僕が僕自身のことを表現する時のために使う言い方。
アスペルガーと言っても多くの人はこの社会に溶け込んでいる。
アスペルガーと診断されたことが問題なのではなくて、その特性から社会参加すらできないでいる状況が問題なのだ。
で、社会参加できない代表格がこの僕ということ。
僕は小学校の時から周りのみんなに比べてその存在が浮いていた。
周りのみんなからすると、かなりおかしな奴と見ていたみたいだ。
僕にとって一番の悲劇は、僕がみんなから嫌われていることを知ったのが中学に入ってからだということ。
それまで僕は、周りのみんなから見て、今でいう出川哲郎のような位置付けだと思っていた。
俺はいじられキャラ。
ハハハハハ。
中学に入ってクラスの同級生の女の子の父親がぼくの家に抗議に来た。
「おたくのヒロさんと、うちの娘が同じグループになってうちの娘はそれから学校に行きたくないって休んでいるんです。なんとかなりませんか。」
「言いにくいんですが、発言がおかしいって娘は言っています。あと、汚いとも。」
それを奥の部屋で聞いていた僕の驚きは半端なかった。
ハハハハハハハハハハ。
すごい、言い方。
青木さんに出会っていの一番にこの時のことを報告したんだ。
13年前にね。
そしたらなんて言ったと思う。
「そんな言い方されたの。それはすごいな。まあでもその人は悪気があって言ったのではなく、事実をそのまま言ったんだろうね。で、それが相手をどれほど傷つけるのかがわからない人なんだよ。」
「世の中にはいろんな人がいるからね。」
今でも覚えているさ。
それだけかよって。
あんた、もっと気の利いたこと言えねえのかよ。
その時は、そんな気持ちだったんだ。
しかし、今になってそう思うな。
ハゲ太郎の言い方がベストだったんだよ。
変に同情してもおかしいしよね。
「そう、世の中にはいろんな人がいるんだって。」
そう思えるようになったのは、社会復帰ができたことから来る自信と余裕からだと思うんだ。
いじめられて、学校に行けなくなって、家では疎まれて、家出しても行く先がなくて、家であばれて、警察呼ばれて、反社会的な行動をするようになって、もっと警察と親しくなって、いい加減なんとかしないと、「刑務所に入ってしまってから後悔しても遅いよ。」で、日本から南へ3000キロ島流しにあった。
そこで運命が変わる出来事が僕を待っていた。
綺麗な女性がいっぱいいた。
10人に5人は僕のタイプだった。
初めてのボランティアでは「ありがとう。」と言われた。
小さな子どもが僕があげた古着を手にとって泣いていた。
たくさんの子供達が、ぼくたちの車を追いかけて来た。
ケイさんという1人の貧しい女性と出会った。
その女性はぼくを支援してくれていた。
ケイさんの家に行って驚いた。
とても汚くて狭い家に家族がひしめき合って暮らしていた。
ケイさんの家
今日食べるものもない家族。
でもその家族が突然訪問した僕にご飯を出してくれた。
「他の家族は食べないの?」
「あとでみんなで食べるよ。」とケイさんは笑って言った。
あとでスタッフに聞いたら、お米がないと言っていた。
お客さんを精一杯もてなすという風習。
僕はそのあたたかなフィリビン人の優しさに、心が癒された。
ここなら、もしかしたら、僕は生きていけるかもしれない。
そう感じた。
10年前の冬。
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