発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

日本を出て外から日本を見てみれば。ヒロ

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                           あんた本当によく食べるな!! 

 

 

 

日本と外国では違うことが多すぎる。

 

 

日本で生まれ育った俺は、日本のあり方が全てだと思っていた。

しかし、それは間違いだということに気づいた。

 

 

日本の良いところもあれば、だめなところもある。

それは外国に住んで、外国で学んだことではっきりとしたことなのです。

 

 

僕は自分の考えではうまく書けませんので、ここは青木さんの体験談を書かさせていただきます。

 

 

青木さんは目が生まれつき悪い人でした。

教室の1番前の席に座っても黒板が読めなかったそうです。

 

 

メガネもコンタクトも試しましたが、見えづらくて、勉強に支障をきたしたそうです。

 

 

一日中、偏頭痛がしていたそうで、気持ちも塞ぎがちになったそうです。

そんな中、レーシックという手術が世に出初めました。

すぐにそれに飛びついたのが青木さんです。

 

 

青木さんは希望を胸に診察室をドアを叩きました。

手術ができるかどうかの事前の検査が行われましたが、青木さんの目の状態ではレーシック受けられませんでした。

 

 

諦めきれない青木さんは、2件目の病院を探しました。

結果は同じでした。

2件ともとても有名な眼科でしたので、3件目は考えられませんでした。

 

 

その時の医師とのやりとりがとても残念だったと青木さんは僕に話してくれました。

 

 

「検査結果ではあなたは◯◯と出ているのでレーシックは受けられません。」と一つ目の病院では言われたそうです。

 

 

続く医師の言葉を待っていましたが、それだけでした。

2件目も同じような感じだったそうです。

 

 

レーシックが今のように世間でまだ認知される前の段階で、診察室の門を叩いたのですから、その患者さんはどれだけこの日を待っていたのかとその気持ちをわかってもいいはずなのに。

 

 

「この目の状況では今までご苦労されたでしょう。勉強も大変だったのではないですか?」

「はい、勉強して医師になって困った人たちの力になれたらと思っていました。」

「でもそれどころか、生きていく自信さえも失って・・・・・・」

 

 

「医学は日進月歩成長しています。10年という単位で考えてみてください。希望を持ち続けてください。」

 

 

 

これだけ付け加えてくれば、診察室を出ても、少しは顔を上に向けることができたかもしれません。

 

 

それだけ付け加えるだけ。

2分もあればいいでしょう。

診察室でこの2分も無駄なのでしょうか。

 

 

と青木さんは話してくれました。

 

 

そんな青木さんが、フィリピンで希望を見つけたのです。

フィリピンの医師とのやり取りそしてフィリピンでの処置を書きたいです。

 

 

それはスペースがもうないので明日に続きます。

 

 

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