自立の為の練習 食後の洗い物
私は50代男さんに何ができるのだろうか?
色々と考えた結果。
自分のことを正直に話せばいいのだと思いました。
「中学で不登校になり、それ以来失敗の連続でとうとう長いひきこもりに突入してしまった。しかし、サポートセンターから支援を受けて、今希望が見えている。」そのことを話せばいいのです。
その考えをスタッフに聞きましたら「ぜひやってごらんなさい」と言われました。
私はタイミングをみて50代男さんに話しかけました。
50代男さんは熱心に耳を傾けて私の話を聞いてくれました。
質問までしてくれました。
想像した以上に反応がありましたのでとても私は嬉しかったです。
それ以降、なんどか50代男さんはフィリピンに来てみえました。
そしてついに決断されたのです。
フィリピンで余生を過ごしたいと。
そういう決断をしたのは私から聞いた話が大きかったと聞きました。
「あの人でもできるならわたしでもできる。」と思われたそうです。
いいじゃないですか。
「あの人でもできるならわたしにだってできるさ。」
わたしを見てそう思ってくださるなら、光栄ですね。
わたしの頑張りが誰かの励ましになるんですから。
さて、その50代男さんは今フィリピンに来ています。
フィリピンで働くにはどうすれば良いのか?
なんとか10万円稼げれば生きていける。
どうしたら10万円稼げるのか?
そのためにもっと英語を勉強したい。
必死に英語を勉強していたらしい50代男さん。
私と是非会いたいということなので、遠路はるばる50代男さんが滞在しているホテルを訪問しました。
「私もJoeの後を追って来ますからね。」
「いまからでも遅くはない。私も幸せになれますよね。」
その目は真剣でした。
「50代男さん。あなたの本気を私に見せてください。」と言いましたら、ニヤと笑って頭を上下に振っていましたよ。
30年間ひきこもっていた男の人。
ほとんど家から出ることもなく過ごした30年間。
その人に1年間青木さんたちは訪問をし続けた。
その甲斐あって、50代男さんと会えたのです。
訪問するたび、玄関から50代男さんの部屋に向かって一方的に話しかけて、玄関にお手紙を置いておくということの繰り返しを1年間。
ある日、突然青木さんの携帯が鳴った。
画面に出た番号は初めての人の番号。
「はい、もしもし、青木です。」
「あの、僕ですけれど、僕はまだ大丈夫だと思いますか?」
「僕ってだれ?」と青木さんは頭の中で自問自答したのです。
「もちろん大丈夫ですよ。」
「40過ぎてますけど大丈夫なんですか。」
「はい、40過ぎでもなんとかしたいという気持ちがあれば大丈夫です。」
「40過ぎってえっーと???」
すぐに候補者が数人浮かんだそうです。
「私は今フィリピンにいますけれど、あしたにでもチケットが買えればあなたのご自宅に伺いたいです。」
「電車に乗ったことがないので、教えてください。名古屋駅から直通で時間はどのくらいで着きますか」
「◯◯分」
「はい、ありがとうごさいます、◯◯さん。お電話とても嬉しいです。勇気がいったでしょうね。ありがとう。本当にありがとう。」
わたしはこのくだり 思い出すと涙が溢れてしまいます。
ごめんなさい。もっと素直に青木さんたちに会うべきでした。
「お手数をおかけしました。」
しかし、ひきこもっている人たちはこれ以上傷つきたくないのです。
だから簡単には会えないのですよ。
こんなひどい状況の人間に丁寧に寄り添ってくれる人たちなんかいるわけないと思いますからね。
私からも言いますよ。
サポートセンターの人たちはなんて素晴らしい人たちなんだ!!!
あしたで私の話はおしまいにします。
あとは東大さんにお任せします。
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