発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

自分の可能性を切り開いてくれる支援 Joe

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「ひきこもっている人の支援のお手伝いをしてもらえないか。」と言われました。

 

 

それまでに「ひきこもりとは何か」や「発達障害」の全般的な知識をスタッフからのレクチャーで学んではいました。

 

 

もちろん学びたくて学んだわけではありません。

私のプログラムの中に入っていただけなんです。

 

 

まあサポートセンターの人たちのことですから、学んでおいて損はないのかと思ったわけです。

 

 

 

学びが終わってから半年が過ぎた頃です。

突然「これから昔のあなたのような人たちがフィリピンにきます。それでその人の支援のお手伝いをしなさい。」と言われました。

 

 

言われたことはできるだけ素直に聞いてやってみようとその時は思っていましたので、「はい」と返事をして支援のお手伝いをさせていただきました。

 

 

私のお手伝いは「テニスの相手」と「ダイビングの補助」です。

それは散々やってきたことですから、とても支援のお手伝いが待ち遠しかったです。

 

 

 

さてその時がやってきました。

スタッフに連れられて来たその人は年が50過ぎの方でした。

丸まった背中に下を向いて歩く姿が印象的でした。

 

 

その人は30年間家にひきこもっていた人だったのです。

私は20年間です。

それよりあと10年間もひきこもりを延長された方。

 

 

 

どんなに寂しかっただろうか。

どんなに悲しかっただろうか。

そう思うと涙が出てしまいました。

 

 

青木さんからは「同情なんかして泣いたりしてはいけない。」ときつく言われていましたが泣いてしまいました。

 

急いでクラブハウスに行き、頭から水道の水を被りました。

「◯◯さん、ようこそフィリピンへ!! 暑いでしょ。だから、私は頭から水を被っているのです。」

 

 

「どんなに我慢してもその人を見たら泣いてしまうのです。」

佇まいが、寂しさを表現しているような人でしたから。

「中、高とテニス部だっとか?一つお手合わせをお願いします。」

 

 

なんと、佇まいと、実際にテニスをやるのとでは大きな違いがありました。

うまいのですよ。

失礼な言い方をしますが、見た人は彼を障害者だと思うでしょう。

 

 

しかし、一度テニスコートに入ると別人のようになったのです。

私は右へ左へいいように振り回されてしまいました。

すぐにGIVE UP !!

 

 

 

 

「すごいですね!!まいりました。」と言うと少し微笑んでくれました。

テニスの最中こちらから話しかけても何も返事は帰ってきません。

いろんなことが小、中、高とあったんだろうな。

 

 

そんなことを想像したら、また涙が出てしまいました。

「なんとかこの人を元気にしたい!!」

心からそう思いました。

 

 

明日に続きます。

 

 

 

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