そんなことがあっても僕は前向きにはなれませんでした。
ひたすらマンションで独り静かに過ごしていました。
「サポートセンターはお前を助けてくれるから、信じて前に進みなさい。」
「これからは、あの人たちがお前の家族なんだから、なんでも遠慮なく言えば良いんだよ。」
ある日母が強く強く僕にせまりました。
僕は布団をかぶったまま両手で耳を塞ぎました。
こいつは何もわかっていない。
死ぬしかない。
こいつを殺してめちゃくちゃにしてやる。
僕はこの時、母親に強い殺意を抱きました。
気が狂ったように部屋の中を破壊尽くしました。
隣の人が警察に電話をして、警察官が来ました。
僕は警察官に体当たりをしたりしてしまいました。
それで、警察署に連行されました。
「警察署で偉い人から、『病院に入院した方が息子さんの為に良いのでは。』」と言われたと母が言いました。
僕もその方がこいつと合わなくてすむので同意しました。
僕の何度目かの入院生活が始まりました。
もう僕はこのまま死んでしまいたいと願いました。
数ヶ月たって、サポートセンターのスタッフがやって来ました。
その人は僕に具体的なことを伝えてくれました。
僕がどうして今のような状況になったのかを具体的に順を追って説明してくれました。
母や父ともすでに何度か会って十分に話をしたと言っていました。
父親が「申し訳ない。」
母親が「私はどうして良いのか何もわからなくなってしまった。良いと思ってやったことがそれは息子を傷つけていただけのことだと知り、本当に申し訳なく思っている。許してほしい。」とサポートセンターのスタッフさんから伝えられました。
「君は何が問題なのかすでにわかっているよね。」
「両親を否定しても何も新しいことは生まれてこない。」
「もう、両親のことは忘れて、舵を大きく切り替えよう。これからは自分の将来のことを考えよう。」
「僕たちは君と一緒にこれから進んでいく船員だよ。」
今思い出して書きますと、ちょっと恥ずかしい内容ですがその時僕の心の中に小さく希望の光が差し込んだのです。
とにかく今いる世界から場所を移したい。
そう強く思うことができました。
次の面会日にサポートセンターのスタッフさんに、僕の考えた質問を投げかけました。
1、一人暮らしなのか?
他の人たちとの同居は絶対に嫌です。
2、みんなと一緒にプログラムをするのか?
他のひきこもっている人たちと一緒は絶対に嫌です。
3、知的障害の人の支援はしているのか。
僕は知的障害ではないから一緒の支援はおかしい。
4、僕と話し合いながらの支援なのか?
押し付けは絶対にいやだ。
5、僕のことを変だと思つているかどうか?
支援をしてやるという態度は絶対にされたくない。
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