著作者:Toffee Maky
父親の知り合いを頼って信頼できる医者に診てもらいました。
薬を変えてもらい、しばらく入院しました。
僕の状態は良くなっていきました。
「薬では治らない。日々の生活の中での練習を通して苦手なことやできないことを把握して、それらのことを軽減して行く練習が必要です。」
「そのような支援をしてくれる支援先を探しなさい。」と医者から言われたと母親は僕に言いました。
「お前はどう思う」とも母親は僕に尋ねました。
僕は何も答えませんでした。
とにかく1人になりたかったです。
母の関心はバカな兄より優秀な妹に完全に移ったようです。
早く僕を処分して、妹に手をかけたいんだろうなということが母親の態度や言葉に感じられましたから。
僕は中々家に帰れませんでした。
退院した後は両親が借りてくれたマンションに1人暮らしをさせられました。
時々家政婦さんが来てくれて家事をしてくれました。
3ヶ月過ぎた時に、「お前に最適な支援が見つかったので、支援者の人と病院の医師とお母さんとでお前のマンションに行くから。」と連絡が来ました。
マンションに来た人はとても優しい女の人でした。
僕の話を聞いたら泣いてみえました。
でもぼくはその人の団体にはお世話になりたくなかったです。
その人が持って来た団体紹介の動画には、知的障害だろうと思われる人たちが多かったからです。
僕は知的障害ではないので一緒の支援はよくないんじゃないかと思いました。
それを団体の女性に言いましたら、色々と専門用語を出して僕を丸め込もうとしているのがわかりました。
発達障害を持っていても知的障害がある人とない人では支援方法が違うしゴールも違うというのは誰にでもわかる基本的なことではないですか。
僕はその支援を断りました。
後で医者も「確かに君のいう通りだ。」と言ってくれました。
その後も2人の人が来ましたが、関心はなかったです。
無理に決まってる。
「僕は変わらない。」と変な自信がありましたので 。
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