発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

5年間の支援が終わる。でも感謝の言葉は言えない。俊介

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僕は発達障害とは診断を受けてはいない。

しかし、僕は周りとうまく溶け込めなかった人間でした。

小、中、高は不安と混乱の12年間だった。

 

 

そして大学1年の夏前で自宅にひきこもることになる。

周りと自分があまりにも違いすぎて、その差に驚きと絶望を感じてひきこもらざるをえなかった。

 

 

ひきこもってみたらなんとかなるとは思っていなかった。

しかし、ひきこもったらもっと自分の状況が悪くなるとはわからなかった。

ひきこもって10年たって僕と同世代との差はどんなに頑張っても埋めることができないほど広がっていた。

 

 

いよいよ、「死」しか考えられなくなった。

何をどうしたらいいのかが何もわからなかった。

わかっているのは無力な自分となんとかしたいけれどもうどうしようもないだろうなと思っていた自分。

 

 

そんな時に母が言った。

「こんなんでいいと思っているの?」

「どんなところでもいいから働いてみたら。」

 

 

今ならわかります。

心配していてくれるということを。

しかし、言われた10数年前はわからなかったな。

 

 

ただ絶望にいた僕をさらに追い込んだ母の言動や態度。

こういう態度を取ってしまうお母さんがほとんどなんですよ。

 

 

 

もしご両親が迷ったら「何も言わないのが正解です。」と僕は思います。

 

 

 

そんな時にそう、国際救助隊が僕の家に来たんだ。

突然だった。

全く予期もしていない時に彼はやって来た。

 

 

擦り切れたジーパンに、履き潰したスニーカー。

何シーズンも着込んだようなユニクロのフリースといういでたちで。

 

 

しかし、熱い男だった。

その熱さは10年ひきこもっていた僕を引き出してくれたぐらいだから。

 

 

この時10年間のひきこもりが終わった。

素直に感謝しなればならない。

命を救ってくれたんだから。

 

 

しかし、今の僕はまだ感謝をのべられる状態ではない。

だから3月31日になっても青木さんに「ありがとうございました。」とは言わないつもりだ。

言えないといった方がいいな。

 

 

いつか心の底から、「本当にありがとうございました。」と言える日が迎えられるように今日も僕は頑張っています。

 

 

 

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