発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

18年間のひきこもりから再び社会へ ジュン。

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僕は35歳の男です。

名前は出しませんし写真もお断りしました。

 

 

高校2年で学校に行けなくなりました。

理由は怖かったからです。

 

 

勉強は大丈夫でしたが、他の同級生とうまくいかなかったからです。

 

高校1年の夏近くになるとクラスの中でカップルが何組も誕生します。

それは僕には無縁なことでした。

 

 

夏が過ぎて再び登校したら、もっとたくさんのカップルができていました。

放課の時間はあちらこちらで仲良くやっていました。

 

 

僕はというとそういうことに疎いのです。

そうしたいという気持ちがなければなんのことはないのですが、ぼくはとても羨ましかったので、無視はできなかったです。

 

 

それどころか、クラスの中のカップルのことが気になって勉強もできなくなってしまいました。

そんな気持ちを誰にも打ち明けられなくて、1人で悶々としていました。

 

 

秋の体育祭は最悪でした。

1年から3年まで縦割りでグループを作るのです。

2年、3年の女生徒はすでに少女から「女」に変わっていました。

 

 

その存在がとても眩しくて、その人たちと一緒にいるだけで体が震えてきました。

 

 

僕が通っていた高校は進学校で外からはとてもまじめな生徒という印象が強かったです。

勉強を一生懸命にやっていたら、恋愛なんかできないと僕は思っていました。

 

 

ところが勉強ができて清楚なイメージの女生徒が校舎の裏で先輩と抱き合っている姿を目撃して、僕は強い衝撃を受けました。

 

 

勉強なら負けないと思っていましたが、恋愛に関しては何もできないのです。

 

 

その差は圧倒的に大きく、いや、どのくらいその人たちから離されているのかさえわからないくらいでした。

 

 

自分は勉強だけしかできません。

異性とそのような交流をすることなど考えられませんでした。

 

 

だからそのショックはとても大きくて、頭の中が混乱してしまいました。

 

 

自分だけが蚊帳の外に置かれている。

勝負あった。

試合終了。

 

1年の3学期から時々休むようになってしまいます。

成績も下がって行き、母親が学校に呼び出されますが、僕は沈黙したままです。

 

 

こんなこと担任にも、ましてや母親なんかに言えるわけがありません。

 

 

2年のゴールデンウィーク明けから怖くて高校に行けなくなりました。

電車に乗れなくなったのです。

 

 

本当は僕もみんなのように普通になりたかったのです。

そのように変われる方法を誰かが教えてくれたなら、僕はもう一度あの場所に戻り、戦ってみたかったですね。

 

 

それから18年間のひきこもりです。

部屋に閉じこもり、夜に母親が用意したご飯をテレビやラジオを聴きながら1人で食べていました。

 

 

まさか18年間も部屋に閉じこもるとは思いませんでした。

出たくなかったかというと、出たかったです。

部屋に閉じこもっていても、何もいいことなんかありませんよ。

 

昔の失敗したことばかりが浮んでは消えていく。

その繰り返しです。

 

 

イライラが増えて行き、夜中に大きな声を出すこともありました。

 

 

「いい加減にしろ。ご近所様の迷惑になるだろうが。」と父が一喝するのです。

何もわかっていない父。

 

 

怒りは父親に向かうようになりました。

 

 

続いて書かさせていただきます。

あの、コメントはお控えください。

批判されるのは嫌なので。

 

 

 

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