ある晩テーブルの上に5枚のハガキが置かれてありました。
サポートセンターの青木さんから私宛に送られたハガキです。
私の父は自分宛にきたと思い込み、私に渡さなかったとあとで青木さんから聞きました。
中身を拝見すれば一目瞭然。
まあわたしの父らしいです。
ハガキを読んでサポートセンターに対する誤解は溶けました。
そしてこの人たちなら私を変えてくれるかもしれない。
そこには30年間のひきこもりから社会復帰した東大さんのことも書かれてありました。
私はその時こう感じました。
社会に戻れるかもしれない。
普通に過ごせるかもしれない。
結婚もできるかもしれない。
しかしすぐに悪いことを想像してしまう私です。
40歳で働いた経験がない人間をだれが雇用してくれるのか。
すでに同世代とは大きな差が着いてしまっている。
今更無理だ。
お金がない。
気の利いた話もできない。
見た目もおかしい。
彼女ができることを期待しない方が良いんだ。
それを一日のうちに何度も繰り返していたのです。
もしかしたら全て作り話なのかもしれない。
東大を出たのにひきこもりなんてありえない。
これも私を外にだすための小芝居なのか。
一旦家に出たら最後、屈強な男たちが私を拉致監禁し、第三世界に売り飛ばすのではないか。
そんなことまで考えてしまうようになりました。
奴らが私の自宅に来るのは1週間後です。
とうとう眠れなくなってしまいました。
イライラがつもり、大きくなって、足で床をドンドンしたり、壁を足で蹴ったりして落ち着かせようとしたのです。
後から父の発言を青木さんから聞きました。
「息子は訪問してもらうことに興奮しています。大丈夫でしょう。出ますよ。」と。
誰かが言っていましたね。
「どうして親と子はこんなにもすれ違うのでしょうか。」と。
いよいよ明日奴らが来るという時になって私はもしもの時の為に準備をしたのです。
危ない奴らだと思ったら、すぐに自分の部屋の窓から外に出て、屋根伝いに逃げる。
その為に、中学の時に使っていたリュックに着替えとお金と筆記具とノートを入ておきました、
その横には靴を置きました。
もし仮に家から出られない時には電話で警察に「不審者に拉致されようとしています。サポートセンターが首謀者です。」と連絡を入れること。
準備を整えました。
当日夜10時に奴らは車に乗ってやってきました。
息を殺し耳を済まして奴らの動向を探りました。
ガラガラと玄関の扉が開く音がした。
時間をおかずに「こんにちわ、サポートセンターのあおきです。Joeさんにお会いしたくてきました。」
私は意を決して階段をゆっくりと降りて行きました。
20年ぶりに親以外の人の顔を見るのです。
恐怖で顔が引きつっているのがわかりました。
階段を降りて玄関に出た時、そこにいたのは屈強な男たちではなく。
ハゲとモンチッチでした。
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