発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

職業は自宅警備員 Mr.Joe

 

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私の父親はとても優しいです。

 

 

それで息子の私を傷つけないようにと家庭で気を使ってくれていたと思います。

私は私で両親に対して申し訳ない気持ちで一杯でした。

 

 

普通の人たちは進学、就職、結婚。

そして新しい家庭を持つ。

そんな経験を両親にさせて上げられなくて申し訳ない気持ちで一杯でした。

 

 

でも私は怖かったのです。

再び社会に出ても、周りの人たちとうまくやっていく自信はなかったのです。

もうあんな嫌な気持ちを味わいたくない。

 

 

そして私は、社会から引き下り、誰も私を傷つけないようにしたのです。

それが社会で言う私の「社会的引きこもり」です。

 

 

傷つけられないという安心が私にはもっとも必要なことでした。

それを確保した私は落ち着きます。

深夜や朝早くに外に出て活動するようにしました。

 

 

しかし、そう言う時間帯に散歩や買い物をしに出ますと、警察に職務質問をされます。

 

 

なぜかと言うと、私は髪の毛をきっていませんでしたし、ヒゲも伸ばし放題だったからです。

見るからに怪しい私です。

 

 

路上で警察官から職務質問されても答えられません。

「ご職業は?」

「・・・・」

 

 

「ご職業は」ともう一度聞かれてこう答えました。

「家庭内警備員」です。

「・・・・・・」

 

 

「あのね、警察官をおっちよくったらあかんでしょ。」

「とにかく署でもう少しじっくりと話を聞かせてもらいます。」と言われてパトカーに乗った回数は5回はありました。

 

 

皆さんは「髪の毛を切ればいいだけなのに」と思われるかもしれません。

 

 

 

その当時の私には髪の毛を切るために床屋に行くことが怖かったのです。

「お仕事は何ですか」「お子さんは何人いるの」と聞かれることが怖くて仕方がありませんでした。

 

 

また、ヒゲを剃ったり、お風呂に入ったり、服を着替えることもだんだんしなくなっていきました。

そんな気力もなくなっていったのです。

 

 

そして私は、外に出ることもしなくなり、引きこもるのです。

 

 

いや、自分の部屋からも自由に出ることができなくなっていき、最後には自分の部屋に閉じこもりとなってしまいました。

 

 

怖いのです。

他人の目が怖いのです。

みんなのようにできない自分です。

 

 

だから自分だけが取り残されるのです。

もうそんな経験はごめんです。

 

 

だからもう死んでしまいたいと思いました。

生きていても何も良いことなんかないから。

早く自分自身を処分してしまいたいと心から願っていました。

 

 

そんな私を助けてくれる人が突然現れたのです。

いや、最初はとても受け入れることができませんでした。

どうせ、強制的に働かされる。

 

 

私のような弱い人間たちを狭い場所に押し込んで、強制的に指示を与える。

私たちには人権もプライバシーも何もない。

求めてもいけない。

 

 

私は人間のクズだからです。

 

頑なにそう信じ込んでいた私です。

 

 

いい意味で裏切られるとは思いませんでした。

国際救助隊が私の家に来てくれたのです。

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明日もよろしくお願いします。

Mr.Joeと言います。

40代で、中学3年から学校にいけなくなった男です。

 

 

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