発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

おかあさんから言って欲しかったたった1つの言葉。東大

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      ヒロさんは本当はとてもナイーブな人です。

 

 

ヒロさんが調子を崩しています。

前日のブログで、彼が書いた通り精神的に不安定になっているのです。

部屋から一日中出て来ず、ごはんも食べずにひきこもっています。

 

 

ヒロさんが母親にどんなことをしたかは、彼が幾度となく書き綴っています。

僕もその文章を読むたびに心が痛みます。

 

 

 

彼は、お母さんと和解できていません。

それどころか、ヒロさんの存在を恐れた家族は、ヒロさんの知らないところへ引っ越してしまったのです。

 

 

青木さんからは、「お母さんへの謝罪の気持ちを持ち続けていれば、いつか会える日も来るかもしれない。」と言われています。

 

古くから働いているスタッフに聞くと、彼はフィリピンに行った当初も、お母さんへの強い憎しみを持ち続けていたそうです。

 

 

それが1年、2年とフィリピンで生活をする中で、彼の頑なな心が癒されていったのです。

 

 

最近のお母さんに対する気持ちを書いた文章は、以前の彼の文章とは明らかに違っています。

 

 

以前ヒロさんがこんなことを言っていました。

「僕は家庭内暴力のご家庭を訪問して、当事者と御両親の間に入りたいです。

間に入って親御さんの変わりに殴られたり、叩かれたりしたいです。」

 

 

「おかあさんが僕から殴られたその痛みを、自分もあじわいたいから。」

 

 

ヒロさんがどれほどお母さんからの愛情を求めていたのか。

求めていた愛情の答えは「存在の否定」でした。

 

 

それでも彼は未だにお母さんからの「愛」を求めているのです。

 

 

僕の母のことを書きたいと思います。

僕の母はヒロさんのお母さんとは真逆でした。

1度も僕に指示をしたことはありませんし、否定的な言葉を母から貰ったことはありません。

 

しかし、今、思うのです。

本当は母から何も期待されていなかったのではないかと。

 

 

母が僕に言ってくれた言葉は、「大丈夫だよ。」という言葉だけでした。

 

 

30年間も家でじっとしていて何が「大丈夫なのか?

母からの愛情を感じながらも、深い絶望感をも味わっていた僕でした。

 

本当は母から言って欲しかった言葉があった。

 

 

「大丈夫」という言葉だけではなくて、

「お前はできる子なんだからやってごらんよ。もう一度勇気を出してやってごらん。」

 

今、そんな言葉を母から言って欲しかったと思う僕です。

 

 

ヒロさんが書いた通り、母と子の気持ちは、どうしてこんなにすれちがうのでしょうか。

 

 

 

本日12月11日月曜日、ヒロさんは試用期間をいただいた会社に遅刻せずに出勤したそうです。

たくさんの方からの励ましを本人に成り替わり、感謝申し上げます。

 

 

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