発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

親のことを思う。ヒロ

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僕は学校の勉強ができなかった。

何もかもがわからなかった。

そういう書き方が正しいな。

 

 

学校ではいじめられもした。

時には「お金を持ってこい。」と奴らは俺を脅迫した。

従わないと殴る、蹴るのリンチだ。

 

 

多い時には母親の財布から10万円を取った。

もちろんそれは悪いことだとはわかっていた。

 

 

親に相談?

相談してどうなる?

 

 

余計ややこしくなることがわかっていたから、相談なんかしないよ。

 

 

でもいつかはばれる。

ばれた時の母親の態度が問題だ。

いまだから冷静にその時のことを見直すことができる俺です。

 

 

母親は俺を責めた。

「お前は刑務所に行け。」

 

 

俺がその時母親に求めていた言葉はそれとは違う。

「どうしたの?」

「家族といってもお金を取ったりするのは良くない

ことぐらいわかっているよね。で、何があったの?」

 

 

 

まずこんな言葉がけが欲しかったな。

「どうしたらいいと思う。」と続く。

「わからないよ。ただ、あいつらの命令に従わないと殴ったり、蹴ったりとかしてきて怖くて仕方がないんだ。」

 

 

そうして俺は蹴られてできた背中のあざを母親に見せただろう。

 

 

「この問題は家族では解決できないから、担任の先生に相談してみよう。」

「それまで仕返しが怖いなら、学校を休みましょう。」

 

 

 

こんな言葉をかけてくれたならと思う。

実際は真逆の言葉を俺は母親からもらった。

 

 

学校で俺はクラスの仲間からその存在をも否定されてきた。

そして家庭も俺の居場所ではなかったんだ。

 

 

中学3年時にアスペルガーと診断を受けた俺。

アスペルガーが問題ではなく、俺を取り巻く周りの環境が問題だったわけです。

 

 

学校で追いつめられ、そして家庭でも追いつめられた。

生きていく自信すらも剥奪された俺は名古屋港に身を投げた。

 

 

「母親のヒロに取った態度は最低で最悪だったね。」

と俺の置かれた環境の大変さを考えてくれる優しい人たちもいる。

 

 

昔は母親を憎んでいた。

長い時間母親の存在をも否定していてた俺。

 

 

母と子の関係で俺みたいな人は他にもいると思いますよ。

何10年間と母親に対して憎しみの気持ちを持ち続けている人たちがいる。

 

 

でも僕はいま、母親に対して特別な感情はないんです。

それどころか、母親は母親でとても辛かったんだろうなとおもえるまでになりました。

 

 

まあ、1つは距離的にとてもとても離れていることもあるかもしれないな。

でも、母親への憎しみは消え去ってしまっています。

 

 

自分の親との関係で自分の人生をめちゃくちゃにされた人たち。

2次障害でリストカット共依存、ひきこもり、摂食障害家庭内暴力を起こしている人たち。

 

 

でも両親を憎んではいけないんだ。

彼らもまた苦しみ悩んでいるのだから。

 

 

それを思いやることができた時、回復が見えてくるのではないでしょうか。

 

 

偉そうなことを言ってごめんなさい。

また明日。

 

 

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