昨日日本に帰国しました。
フィリピンでサポートセンターの支援を受ける決断をされたある人が、偶然にも僕と行き違いで僕が日本に到着した翌日にフィリピンに行くんです。
それでスタッフからその人とセントレアで出会って夕食を共にしてくださいと僕に連絡が入った。
その人は僕が話すフィリピンの話題をうなづいて聞いてくれていました。
一見普通の人でした。会話は僕の一方的な話で終始しました。
やはりどこか自信のなさをその人に感じました。
まあ、これ以上はその方に許可はとっていませんので、お話しすることはできません。
でも「すれ違うっていうのもなんかすごいな。」
夕食が終わったのが9時近くでした。
そのあと僕は名古屋駅に降り立って宿泊先のホテルに向かいました。
名古屋駅が近づいてきたら、だんだんと不安が強くなって、動悸が激しくなってきました。
まあ、空港から指定席で名古屋駅でしたから、以前の様なパニックにはなりませんでした。
空港から重い荷物を持ちながら歩くのは無理でしたので、タクシーでホテルまで行きました。
さて。
僕は来週2つの講演会をさせてもらいます。
1つは中学校の生徒さんに向けてのお話です。
「みんな幸せになるべきなんだ」 というテーマでお話しさせていただきます。
もう1つは小、中学校の先生に向けてのお話です。
小、中不登校だった僕があの時何を考えていたか。
そしてどんな支援が欲しかったかをお話しさせていだきます。
この講演のお話を頂いた時青木さんはとても喜んでいました。
「なんども、なんども僕に『よかったね。』」というので少しくどいと感じました。
中学校や教育委員会からの講演の依頼だからうれしいらしいです。
僕にしても青木さんにしても、いやサポートセンターで支援を受けている人の多くは高校中退です。
中には小学校から不登校で中学から行けなくなったMr.Joeみたいな人もいます。
ほぼ全員と言っていいほど、学校に対して良い印象を持っていないのです。
その僕たちが、昔苦しんだ場所で昔の嫌な思い出を見ず知らずの人に語るということは大きな大きな意味を持つのです。
過去を乗り越えるというとオーバーな言い方だと思うかもしれませんが、ぼくはそう感じました。
「あの時のことを思いだして語ることができる。」というのはあの出来事を真正面から見つめ直すことが少なくともできているということなんです。
そのことを実感できる唯一のことが中学校での講演会なのかもしれません。
たくさんの生徒を前にしても僕は1人の生徒に語りたいと思います。
15歳だった昔の僕にです。
「恐るな!!」
「死んでしまいたいなんて思う必要はないんだ。」
「希望はあるんだから」
できたら自分の出身(ほとんど通学はしていませんが。)中学校でお話をしてみたいと思っています。
その時自分は何を感じるんだろうと想像してみたりもします。
さて残り数日ですが、原稿を見ないでも話せる様にまた話すスピードが適切なのかスタッフに見てもらいながらその日に備えます。
講演会のお話をいただきましてありがとうございます。
あの、サポートセンターにはまだ話したいという人が少なくとも現時点で5人おりますので、日本全国からの講演会のご依頼をお待ちしております。
僕たちが人前で話すことはそれは僕たちの回復プログラムのひとつでもあるのです。
また明日。
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