発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

13年間支援を受けたにも関わらず、日本社会に戻れない俺 ヒロ

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13年間支援を受け続けて俺は変わった。

俺自身がそう感じるんだから、周りからみたら激変という感じだろうな。

 

 

そして来年の3月で俺の支援は終わる。

俺は日本に帰ることを決めていた。

日本で1人で生きていく。

 

 

そのために年明けから仕事を探すつもりだった。

もちろん正社員。

もうアルバイトでやり過ごす時間は終わっている。

 

 

仕事は自分の特性を考えて探します。

でも選り好みなんかしませんよ。

こんな僕でも雇ってやろうと思ってくださるところなら、僕は喜んで働かさせてもらいます。

 

 

しかし、この10月に日本に帰って今の自分がどういう状態にあるのかよくわかった。

フィリピンというぬるま湯に浸かっていただけなんだということがよーくわかった。

 

 

ぬるま湯に浸かり過ぎてふぬけてしまった俺。

さて、どうするか?

 

 

これから先のことを改めてサポートセンターのスタッフと相談した。

 

 

以前にも書きましたが、サポートセンターは来年春の支援終了後に再び専門学校にいくことを提案してくれた。

その申し出はとても嬉しかった。

 

そんな申し出をいただける様な状況まで変わった自分が嬉しかった。

 

 

しかし、俺はすぐにでも給与が欲しいんだ。

早く自立がしたくて仕方がない。

言い換えれば、社会人になりたいんだ。

 

 

大きな夢なんかないさ。

結婚して家族を持ち、こどもに囲まれた生活をしたいだけなんだ。

だから1日も早く仕事がしたいんだ。

 

 

でも現実は甘くなかった。

駅の人混みを見てパニックになった俺です。

大学の同期が全て就職できたのに、俺だけがまだ就職浪人という現実。

 

 

それらが重なり合って、自分に大きなストレスがかかった。

それらに潰されそうになって、必死に名古屋駅から逃げ出したんだ。

 

 

就職前でこれだから、就職できたとしてもすぐに離職だ。

それにしても日本人はすごい。

あの名古屋駅の人のスピード感。

 

 

まあよかったんだと思います。

日本の社会には戻れないことがはっきりとしたから。

自分はこのフィリピンか他の国で生きていくしかないんだ。

 

 

ここで頑張ろうと自分で確認することができたんだ。

それで十分さ。

 

 

いつかもっと自信がついたら、日本の社会に戻れることだってできるかもしれないし。

 

 

さてと、また頑張りますか。

気持ち?

下がっていないですよ。

 

 

幸せかって?

しあわせですよ。

はい。とてもとても幸せです。

 

 

 

みなさんありがとう!!

 

 

あっ、僕11月の17日に日本に帰りますよ。

日本で講演会をさせてもらうんです。

本当に嬉しいです。

 

 

中学校で生徒たちへのお話。

そして小、中の先生方への「アスペルガーで小、中不登校だった経験を通してどの様な支援を本人は望んでいるのかというおはなし。」です。

 

 

詳しくはまた明日書きます。

 

 

あの、外部からは来られませんのでサポートセンターへのお問い合わせはご遠慮ください。

 

 

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