発達障害な僕たちから

発達障害と診断された、ヒロ・アオキとその仲間達が日常生活での生きづらさや奮闘を素直に綴っていきます。よろしくお願いします。

自分は変わったと勘違いしていたバカな俺。ヒロ

 

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 丁寧に掃除をしましょう。横でスタッフが睨みをきかしているんです!!

 

 

 

スタッフに俺の頭の中の混乱の正体を整理して教えてもらった。

 

 

そして俺なりにわかったこと。

 

 

1、日本での生活は今は諦めるしかない。

理由は、しっかりとした自信が自分の中に未だに根付いていないからだ。

 

 

そして昔の嫌な思い出が蘇ったという事実。

サポートセンターに来ても数年間はそのことが頭の中を支配していた。

いや頭だけではなく、俺の体全体を支配していた。

 

 

支配されていた俺は無気力だった。

時には周りに激しい暴力を振るったり、金銭をごまかしたりもした。

 

 

「いじめ」「小、中の勉強が全くわからない。」「両親の期待に何も応えられなかった俺。」「学校に行くか仕事をするかどちらかにしろと母親に追い立てられたこと。」

それらが未だに俺の体内に居残り、俺を再び支配しようと狙っているんだ。

 

 

 

「努力なんてしても無駄さ。」「お前は障害者なんだ。何もできはしないさ。」

 

 

「自分だけこんなふうになったのは不公平だとは思わないのか。」

「社会が悪いんだ。憎む相手はこの腐りきった世の中だ。」

 

 

 

恐ろしい考え。

そこから生まれるのは「悲しみ」しかない。

 

 

サポートセンターにいた数年間俺は狂っていた。

しかし、4年後環境を変えようとフィリピンに行ってから、それらの記憶が少しずつおいらから離れて行き始めた。

 

一番大きかったのは日本から離れたことで、思い出すきっかけとなるようなことから離れたことです。

 

 

着ていた服も、靴も。

自分が持っていたものは全て日本に置いてきて、フィリピンで新しく買い換えました。

 

 

何もかも新しくするために。

 

 

インターナショナルハイスクールに入るため1年間地獄の特訓を自らに課した。

そして俺は高校を卒業する。

卒業だけではなくたくさんの友達ができた。

 

 

生まれてから中学まで1人も友達がいなかった俺に友達と呼べる人たちができたんだ。

 

 

そして大学入学。

その学生生活は人間関係にこれでもかとつまづいて、つまづいて、つまづき続けたおいらだった。

 

 

1年間の謹慎生活も食らった。

しかし、できたんだ。

そう、おれにも人間の彼女ができたんだ。

 

 

しかも信じられないくらいの美人な女性。

毎日ぼくと生活を共にし支えてくれていたスタッフたちも自分のことのように喜んでくれた。

 

 

昔の嫌な記憶?

謹慎がとけた大学3年からはほとんど思い出さなくなっていた。

4年生になったら全くといっていいほど、思い出さなくなった。

 

 

それどころか、おいらはこの失敗続きの経験を生かして、他人様のお役に立ちたいと思い始め、ブログを書いたり、講演会や研修会でお話をさせてもらったりもした。

 

 

俺は本当に前向きな人間に生まれ変わったんだ。

 

 

そう信じ込んでいたバカな俺でした。

現実はそんなにしっかりとしたものではなかったんだ。

 

 

明日また続きを書きますのでよろしくお願いします。

 

 

 

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