気分転換に髪を切りました。現在フィリピンに帰国中。
僕は大学4年時にはようやく勉強の仕方がわかってきて、成績も上がりだした。
しかし、4年間の学生時代をトータルすると成績は学年でも真ん中の下ぐらいだろうな。
でも友達全員が就職できたのに、自分だけまだ就職が決まっていないという事実にかなりへこんだ。
まさか自分だけが就職が決まっていないなんて思ってもいなかった。
他の連中も同じだろうと思っていたから、のんきに構えていた。
連絡をしてきた3人はどちらかというと学生時代ふざけていた連中だった。
だから余計にショックが大きかったんだ。
しかも、誰もが入れないような有名な企業に就職できたことが、さらにショックを大きくした。
僕なんかどう転んでも入れない会社だから。
そしてきわめつけは日本人の彼女ができていた事。
写真をみたら誰もがうらやむような美人だった。
フィリピン人男性が日本人の男でもうらやむような素敵な日本女性のハートを射止めた。
「なんでだよ?」と日本人の多くの男性は思うだろうな。
このことについてはまた改めて、「僕が今感じている日本の外の世界」と題して書きたいと思うんだ。
それでかなり落ち込んだ。
しかも日本に来ている最中に、それがわかったもんだからもっとやばい精神状態になった。
日本で俺は徹底的に排除されていた。
学校の成績は一番下。
名前だけ書いてあとはさっさとお眠りタイムのテスト時間。
17歳でも二桁の足し算引き算ができないんだから、どの程度なのかはわかってもらえると思う。
そして、汚好き。
歯は磨かないから口を開けると・・・・・・・。
口くさあー。
鼻毛と耳毛が伸び放題。
ニキビだらけの顔面。
顔を洗わないから、いつも目やにだらけ。
風呂入らないは服を着替えない事。
だからカッターシャツの首回り・・・・・・。
服をちゃんと着ることができないので、前のチャックは開けっ放し。
しかもみんなが輪になって話に盛り上がっている中に乱入して、自分の好き放題話すもんだから、クラスの誰も俺を相手にはしてくれなくなった。
そのうち、みんなから嫌われるようになった。
それは日々エスカレートしていき、恐喝、万引きの強要、暴行。
それでも俺は頑張って学校に行っていたんだ。
だって、学校って楽しいじゃないか。
授業中に誰かが言った一言にクラスがどっと受ける瞬間!!
俺はあの瞬間が大好きだった。
さすがにバカな俺でも、だんだんとみんなは俺を毛嫌いしているとわかってきた。
「お金を持ってきたら、仲間に入れてやる。」と言われたので、親の財布からお金を盗んで、不良グループのリーダーにお金を渡した。
でも要求は一度では終わらずに、日常的になり、金額も増えて行った。
それで、俺はもう疲れ切ってしまい、学校に行けなくなってしまった。
そんな日本におさらばして、「誰も俺を知らない。」「俺の知っている人は誰もいない」日本から3000キロ離れた島にたどり着いたんだ。
「ここで再起を決する。」
それから7年間必死に毎日頑張った俺。
その結果がこれなんだ。
程度の悪いアスペルガーな俺は、結局日本でも必要なし。
そして、フィリピンからも「お前を必要としていない。」とはっきりと言われたんだな。
「やっぱ、死ぬしかないか。」
昔、俺がささやいていたあの言葉を吐いた俺がいた。
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