13年前16歳のヒロさんとあつこ先生 1人暮らしの生活スキルチェック
私たちが、初めて発達障害という言葉に触れたのは、25年前に出会ったお母さんと小学校6年生の娘さんとの出会いからでした。
毎月、私たちが開催していた子育て勉強会に2人が参加してくれたのです。
勉強会終了後、挨拶の時にお母さんがこう話されました。「うちの娘は、LDです。算数が全くできないのです。月に1度東京の医師に見てもらっています。少しでも多くの人にLDのことを知ってほしくて、参加しました。」
それから、LDについての勉強会が始まったのです。
当時、お世話をしていたのは、現代表の青木でした。
25年前には、それに関連した書籍もインターネットもまだあまりない時代でしたので、お母様の話は衝撃的でした。
半年後、ご主人の転勤に伴ってその方は名古屋を離れられましたので、せっかく立ち上げた勉強会は立ち消えとなってしまいました。
しかし入れ替わるようにして、アメリカで看護師をしておられた方が、あとを引き継いで講師として参加してくださり、アメリカでの発達障害の情報を聞くことができました。
正直、当時は話を聞いてもよく理解できませんでした。
しかし、支援している子どもの中に、話で聞いたような特徴を持った子供達がいることは感じていました。
しかし、その会も看護師さんが海外へ戻られたことにより、1年で終了してしまいます。
それから10年近く発達障害のことを忘れていました。
相変わらず、非行少年や余命いくばくもない子ども達へのお世話に忙殺されていましたので。
今から、15年前中学の養護教諭で発達障害の勉強をしていた吉村が加わったことにより、支援をしている人の多くに共通の苦手さが見られると指摘してくれました。
そこから私たちの支援の方向性が「発達障害の2次障がいの人たちを支援する」に決まったのです。
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