発達障害な僕たちから

発達障害と診断された、ヒロ・アオキとその仲間達が日常生活での生きづらさや奮闘を素直に綴っていきます。よろしくお願いします。

「学校に行かなくてもいいんだよ」とは僕には言って欲しくなかった。ヒロ

 

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頭の中にあること。

みなさんに伝えたいこと。

それらを言葉に置き換えて書くことがぼくには難しい。

 

「あああ」ってなって、気分転換で、外に出ても一向に書くことができない自分。

 

 

とても大切だと感じることがある。

もしかしたら経験をして、そして回復した僕だからこそ書くことができるかもしれないこと。

 

 

でも書けない。

なんとか書き進めてみます。

 

 

僕は、不登校児と呼ばれた。

僕は自分で自分を不登校児と呼んだことはなかったけれど。

 

 

同じようにひきこもりだとは思っていなかったし、アスペルガーだと自分で認識できるようになったのはつい最近のこと。

 

 

「学校にいけなかった。」と「学校に行かなかった。」どちらも学校にはいないという状態を表すんだけれど、微妙に意味が違う感じがします。

 

 

ぼくの心の状態を表すならば、「行けなかった。」を選びます。

ぼくは学校に行きたかったけれど、行けなかったんです。

 

 

世の中には、学校に行きたくなくて、「学校に行かなかった。」児童もいるんですよね。

 

 

2つのタイプを1つの不登校という枠の中に入れてしまうのには無理があると思う。

不登校になった原因や過程がちがうよね。

 

 

ぼくが今日言いたいのは、そのことです。

でも、ぼくが感じたことをインターネットの世界で探したんだけれど、見当たらないんですよ。

 

 

不登校という枠の中には、全く違う種類の少なくとも2つのタイプがあるんだ。

 

ぼくは学校に行きたかったけれど、行けなかった。

青木さんは学校に行きたくて仕方がなかったので、1年浪人してまでして、学校に復学した。

 

 

大統領も名無しもさとるさんもみんな学校に行きたかったけれど、行けなかったんだ。

 

 

サポートセンターで支援をしている人たち全員に聞いたわけじゃないけれど、ほぼ学校に行きたかった人たちです。

 

 

 

ぼくは不登校というのは、僕みたいに勉強ができなかったり、運動ができなかったり、そして同級生とうまく交流できない人たちだけだと思っていんだ。

 

 

でもなんか、同じ不登校でも、全く違うタイプの人たちがいるということを最近知って、驚いています。

 

 

そして、新聞やテレビで不登校の話題を出しているのに、そのことに触れている記事が見当たらないことが不思議でしょうがないんです。

 

 

それで、青木さんに聞きました。

 

 

「青木さんが『東京シューレ』で検索してみなさい。」と僕に言ってくれました。

 

 

昔、マスコミ全体が「不登校東京シューレ」という時代があったそうです。

 

大変な時代だったそうです。

青木さんは、「東京シューレ」の考え方もわかると言っています。

 

でも「僕たちのような不登校もいるんだよ。」とわかって欲しかったそうです。

 

 

また明日。

 

 

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