発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

希望はある。この人を見よ。ヒロ

 

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 いやマジで尊敬しています。早くフィリピンに帰ってきてくださいね。

 

 

東大さんの評価がうなぎ上りに上がっている。

2013年にフイリピンに上陸した東大さん。

その時から俺は東大さんを知っている。

 

 

大変だったな、あの時。

フリーザじゃなくてフリーズばかりしていたから。

矢継ぎ早に「ああして、こうして。」とスタッフたちが東大さんに話しかけたわけじゃない。

 

 

そこは、支援歴が長いサポートセンターのスタッフたち。

丁寧に、丁寧に、優しく、ゆっくりと東大さんに合わせるかのように話しかけていた。

しかし、フリーズ三昧の東大さんだった。

 

 

あっという間に10日間は過ぎて、東大さんは日本に帰って行った。

 

 

いつも思うんだ。

フィリピン体験ツアーをやって帰国時にその人たちの顔を見るとみんな、もう二度とフィリピンには来ないだろうなと俺は感じている。

 

 

悲しい顔をしているのではなく、期待はずれだという顔でもなく。

無表情な人がほとんどだ。

「お前は、どうだった、バカヒロ?」

 

 

はい、おいらは日本に帰る時泣きましたね。

スタッフにも確認しましたが、めずらしく泣いた人にあったとのこと。

 

 

東大さんとはもう二度と会うこともない。

「天国に行く前に良い思い出になってよかったな、東大さん」と思っていた俺。

 

 

そんな東大さんが1ヶ月もたたないうちに、フィリピンにに帰ってくると聞いた時、おどろいた俺。

 

何しにくるんだ、こんなへんぴなところにって。

 

 

しかし、そこから東大さんの回復物語は始まるんだ。

現在支援を受けて5年目が始まっている。

 

 

毎日のようにスタッフからこれでもかと注意を受けていた東大さん。

 

 

誰もいないところで、泣いていたのを俺は見ている。

誤解しないでくださいよ。

サポートセンタースタッフは世界一当事者に理解ある人たちだ。

 

 

だから、東大さんの泣いた理由は、ひどいことを言われたとかじゃないんだ。

 

 

あとで聞いたら、できないことが多過ぎて、こんなに自分が役だたない人間だったということに気づいて悲してく泣いたんだって。

 

 

そんなこんなで4年間。

毎日休みなく、東大さんを支援し続けたスタッフたち。

 

 

そして、決してめげることなく、失敗しても、失敗しても、再び立ち上がった東大さん。

 

 

その評価がうなぎ上りに上がっている。

来春就職の約束がなされている。

そして落ち着いたら結婚も考えている。

 

 

東大大学院終了後引きこもって30年近く。

家からほとんど出ることもなく、家族以外の人との交流も持てなかった東大さん。

 

 

そんな東大さんの幸せがこれからはじまるんだ。

 

 

 

ある時、街中を歩いていたら、東大さんファミリーにすれ違う俺。

 

 

長女の手を握っている東大さんは微笑んでいる。

ベビーカーを押していいる奥さんのお腹には3人目の子どもの命が宿っている。

 

 

おおおおお、頑張ったな東大さん。

おんとし56歳。

 

 

年齢は数字だけのこと。

フィリピンでよく聞くフレーズ

 

 

そんなことを想像したら、なんだか心が暖かくなった。

 

 

希望はある。

この人を見よ。

 

 

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