発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

母の思い。30年間ひきこもった元東大生

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Mr.Joeがブログを書き始めましたか。

回復への大きな一歩ではないでしょうか。

 

 

ブログを書いてみようと思えた時。

それは自分を俯瞰的に見え始めたということではないのかと自分の体験を通して思えるのです。

 

 

20年間の空白。

他人の話を聞きますと、「20年間もよく1人で部屋の中に入られたな。」と思ってしまいます。

 

 

でも僕は30年間ですからね。

最近は、本当に30年間ひきこもっていたのかと自分で疑ってしまうことがあります。

 

 

すでに自分の部屋は整理してしまいました。

そこに戻る気はありません。

そしてそこは今は他人に部屋を貸しているのです。

 

 

部屋を明け渡す時、今までの物を全て処分してしまいました。

 

 

ゆっくりと1つ1つ見て確かめながら捨てたかったのですが、「東大関係と小、中の学校関係と、あなたが好きなCDだけをもって出なさい。」と青木からなんども言われていました。

 

 

人のプライバシーにまで踏み込んでくる嫌な人だと正直頭に来ていました。

 

 

でも、言われた通り全ての物を処分して、何もなくなった部屋を眺めた時、涙が溢れてしまいました。

手が震えたのです。

 

 

「残りの人生を精一杯、毎日全力で生き抜いていきたい。」そんな決心が全身を駆け巡るかのように感じました。

 

 

 

僕は今、学校で勉強しています。

来年人生で初めて就職をします。

 

 

給料は安いのですが、そのことより社会の一員になれるんだという期待の方が大きいです。

 

 

 

初めて手にするお給料には手をつけずに、日本の母の墓前にまずは備えるつもりです。

 

 

残念ながら僕の母は、僕がフィリピンに旅たって二日後に天国に召されました。

 

 

高齢でしたが、悪いところはどこもなく、足も丈夫でよくあちらこちらに出歩いていた母でした。

ですから、母の急死の知らせを、しばらく受け止められませんでした。

 

 

 

母は「息子の隆を置いて先に死ねない。」となんども姉に話していたそうです。

「1日でも長生きして、息子のそばにいてやりたい。」とも。

 

 

 

お通夜が終わって親族だけになった時に、姉が僕に語りかけてくれました。

「最後に親孝行できてよかったね。お母さんの死に顔は微笑んでいたよ。間に合ったんだよ。」と。

 

 

ひきこもっていた30年間、母は僕を一度も責めませんでした。

 

 

僕の前ではいつもニコニコしていました。

「隆、諦めない限り、必ず希望はあるんだ。」と励ましつづれてくれた母。

 

 

今、母のその言葉が現実となったことに、改めて母の思いに感謝したいです。

 

 

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