発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

貧しさの中に豊かさを見た。ヒロ

 

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お菓子に大喜びの子どもたち。感謝です。ありがとうな。

 

 

僕はもう直ぐ29才になります。

青木さんにお世話になって早13年目です。

 

 

中学の時にアスペルガーと診断されました。

衝動性をコントロールすることを第一に考えなさいと言われました。

 

 

で、いろいろな団体でお世話になったけれど、ダメでした。

お世話になったそれぞれの団体がダメなわけではなく、僕には合わなかったということだけです。

 

 

それで、最終的に流れ着く場所として有名なサポートセンターにお世話になりました。

そして早、13年目なのです。

 

 

 

僕は日本で問題を起こしてしまいました。

それで、日本に居られなくなってフィリピンに島流しになりました。

 

 

 

どうせ島流しにあうなら、アメリカのニューヨークかフランスにして欲しいとリクエストを出しましたが、聞き入れてもらえず、絶対にありえない選択のフィリピンに流されました。

 

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    どんぶらこ、どんぶらこっこ、どんぶらこ。日本から南へ3,000キロの旅路。

 

フィリピンは汚い国、貧しい国、臭い国なので行きたくなかったです。

 

 

でも結果的に僕はここで人生を変えてもらいました。

フィリピンの子どもたちからたくさんの大切なことを教えてもらったのです。

 

 

ある日、僕は貧しい地区にある小学校でお菓子を配りました。

その小学校の生徒たちの中には毎日食事ができない子どももいます。

そんな子どもたちですから、お菓子は大喜びです。

 

 

みんなお菓子を手にした瞬間に袋を破って口の中に入れていました。

 

 

しかし、数人の子どもたちは食べないでカバンの中に入れたのです。

 

 

「どうして、今、食べないの」と僕は聞きました。

「みんなが食べているからあなたも食べたいでしょ。」とも聞きました。

 

 

 

そうしたら、1人の女の子がこう言いました。「家に帰って妹やお母さんたちと一緒に食べます。」

 

 

僕はその女の子の家を訪問したくなって、青木さんと一緒について行きました。

 

 

女の子が指さした家は、竹でできた小さな小さな家でした。

僕たちの会話の声が聞こえたのでしょうか。

お母さんと小さな兄弟たちが家の中から顔を出しました。

 

 

その姿を見るなり女の子は走り出したのです。

右手に持つお菓子の袋を高々とつき上げ、満面の笑みを浮かべながら。

 

 

そこで僕は家を訪問せずに、帰り道を急ぎました。

僕の顔は涙と鼻水と汗でくちゃくちゃでした。

急に日本にいる家族に会いたくなりました。

 

 

ありがとう、フィリピン。

ありがとう、みなさん。

 

 

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