暴力的なものをなくす為に、俺は高校に行った。
それがスタッフのみかた。
「俺は勉強がしてみたい。」という思いでフィリピンの高校に行きたかった。
日本で小、中と授業中は寝ていた。
寝たくて寝ていたわけではない。
授業が何もわからなかったから、寝るしかなかった。
悲しかったのは、先生が俺を怠け者だとみていたこと。
違うんだよ。
授業中寝ている子の多くは、本当はみんなと一緒に勉強したい子なんだよ。
でも、もう何もかもわからないから、どうしていいのかわからずに寝ているだけなんだよ。
どうか、小学校、中学校の先生、そこのところをご理解してください。
彼らの悲しみ辛さをどうぞご理解してください。
俺はバカな人間だと思っていた。
「母親はなんとかしないと大変なことになる。」と心配して、俺を鍛えようとしたんだ。
手に輪ゴムで鉛筆をくくりつけた。
「痛いよ!!痛いから止めて」と小さな俺は母親に泣いて訴えた。
鬼のような顔をして、「勉強しなさい!!」と叫び続ける母。
大きくなって力がついてきたら、暴力を使うようになった俺。
今までのお返しだ!!
今になってわかるんだ。
お母さんの思いがね。
でもやり方が間違っていたよね。
時間はかかるけれど、ゆっくりと、話しながら、忍耐強く勉強をするようにもっていくしかない。
すべての母親はサポートセンターのように策略家でなければならないんだ。
中学の時、ほとんど学校には行っていないけれど、たくさんあった辛い出来事の中でも特に授業中のことで辛かったこと。
座席の前から順番に黒板の前に出て、英語で自己紹介をするということだったかな。
俺は寝ているふりをしながらも、ちゃんと耳レーダーを教壇の方に向けていた。
俺の席はもちろん一番後ろ。
みんなから嫌われていたから、強制的に掃除道具入れの近くに配置されていた俺の机。
俺の順番がやってくる。
と、俺は飛ばされた。
えっ?
その時、俺は寝ている体勢から、起き上がり、黒板前に行く予定にしていた。
だって、みんながすることなんだから、それをしないと、目立って後からまたリンチをされるので、めだってはいけないんだ。
ところが、先生は俺の順番を飛ばした。
俺はまっすぐ前を向いて座っていたのに。
その出来事は、俺のかろうじて保っていた「生きる」気力をそいだ。
悲しい思い出。
辛い思い出。
だから俺は勉強できなかったという嫌な思い出をぶち破りたかった。
「お前はバカだ。バカは死ね。」
そんなことを小学校からずーっとクラスのみんなから言われ続けてきた俺。
その通りだ。俺はどうしようもないバカなんだ。
そう信じきっていた俺。
その殻からもしかしたら、抜け出せるかもしれない。
いや、やってみたい。
「俺はバカじゃない」ということを証明したい。
そのチャンスが今目の前にあるんだ。
そうして、俺はスタッフに高校に行くことを直訴した。
二桁の足し算、引き算すらできない俺が!!
IQ70オール1の俺が。
サポートセンターのスタッフは全員反対した。
あの、青木さんでさえ反対したんだ。
「ヒロさん、それは無理なことだよ」って言った。
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