発達障害な僕たちから

発達障害と診断された、ヒロ・アオキとその仲間達が日常生活での生きづらさや奮闘を素直に綴っていきます。よろしくお願いします。

なぜ30年間のひきこもりから一歩踏み出せたのか 東大卒 大野隆

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        30年ぶりに訪れる決心をしました。 

 

 

 

義兄が僕のことを心配して、テレビ番組で見たサポートセンター名古屋に支援を依頼しました。

 

 

依頼した後で、僕に報告をしたのです。

僕は何も返事はしませんでした。

 

 

どちらにしても会うつもりもないし、支援してもらうつもりは全くありませんでした。

 

 

しばらくして、自宅にハガキが届きました。

内容は僕の状況を問うことや、できたら会いたいということが書いてありました。

 

 

今にして思えば、ありがたいことなのです。

感謝すべきことなのです。

しかし、僕はその文面を読んで、非常に腹がたちました。

 

 

最近、義兄から聞いた話では、普段は感情を全く出さない僕がおこっている姿を見て、母はとても不安になったそうです。

 

 

それで、義兄にハガキを送るのをやめるように指示を出したそうです。

 

 

しかし、今という機会を逃したら、僕が本当に命を落としてしまうのではないかと危惧した義兄は高齢の母を説得したのだそうです。

 

 

それから毎月必ずハガキが来ました。

2週間に一度の割合で。

 

 

最初の頃は目を通していましたが、だんだんと僕の怒りは強くなっていきました。

 

 

東大も卒業したのに30年間ひきこもっている人間を小馬鹿にして何が楽しいのか。

こんなにも弱さを覚えている人間に対してすることではない!!

 

 

うまく言いくるめて、精神病院に送るとか、施設に入れて強制労働をさせるのではないかと勘ぐりました。

とにかく、ハガキの存在がだんだん大きくなっていきました。

 

 

夢でうなされることも出てきて、もう限界と感じて、僕は義兄に電話をして、「今すぐハガキをやめさせろ!!」と強く言ったのです。

 

 

言い終わった後、肩で息をするくらい力を入れていました。

 

 

こちらから頼んだので、断りづらいんだ。一度でいいから、会って直接断ってくれないか」義兄は優しくゆっくりと僕に話しました。

 

 

これは結局、僕が他人と繋がるための義兄の戦略でだったのです。

その時の僕には気づくことはできませんでした。

 

 

「わかった!!いますぐにでもあいつに会って、やめるように警告するから。」

 

 

そうして僕は成り行きで、30年近くぶりで、家族以外の人と会うことになりました。

 

 

その日がちかづくに連れて、眠ることができなくなってきました。

食欲もありません。

胃が痛くてしかたがなかったです。

 

 

発狂しそうにまで追い詰められました。

当日の朝、母から携帯電話を借りました。

何かされたら、すぐに警察に助けを求めるためです。

 

 

ポケットに果物ナイフを隠し持とうかどうか家を出る直前まで悩みました。

 

 

本当に怖かったのです。

怖くて、怖くて仕方がありませんでした。

 

 

なぜなら、僕は他人から何をされても、世間はそれを許すような人間なんだと自分で信じこんでいましたから。

 

 

 

2013年3月、30年ぶりに家族以外の人と会いました。 

この時から僕の第2の人生がスタートしたのです。

 

 

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