鳥山明先生。Dragonball をありがとうございます。
下記のブログを読んでくださり、メッセージを届けてくださった方がみえます。
smilehousejapan.hatenablog.com
一人でも多くの方々がさくらさんの文章に目を留めてくださることを願います。
《以下、さくらさんから頂いたメッセージです。》
ヒロさん。四月からの新しい生活、大変だと思いますが、応援しています。
下の文章、分かりにくかったらすみません。
でも、このブログを読んでいる関係者の方や、お母さん達に読んでもらえたらいいなと思って書かせていただきます。
もしお役にたちそうなら、うれしいです。
私は弟がアスペルガーです。
ヒロさんと同い年くらいです。
診断されたのは彼が高校の頃ですが、私は小さいころからずっと、母親から「私は弟と違って大丈夫、自分でなんでもできる」と言われてきました。
小さい頃から、弟中心に家庭が回っていたので、ずっと親を頼れませんでした。
私も小学校・中学校とクラスに馴染めず辛かった時も、将来に悩んだ時も、弟がほかの友達の兄弟と何かが違ってうまく関わりあえないときも、私はちゃんとしなきゃと自分に言い聞かせて来ていました。
弟に優しくできないのは、私の性格が悪いからだと思っていました。
色んなことを我慢していましたが、それは仕方ないことだと思い込んで生きていました。
私はもう30歳を超えたいい大人ですが、最近、自分はアダルトチャイルドだと気付きました。
小さい頃から、ずっと寂しかったんですね。
子どもの時に、子どもらしく感情を表現できなかったんです。
その気持ちに、結婚して新しい家庭を築くなかで配偶者とうまくコミュニケーションが取れずに悩んで死にたくなっていた時に、ようやく気がつきました。
今は、寂しさと怒りと、悲しみと悔しさと、とても複雑な気持ちでいっぱいです。
それ以来、親とは一方的に距離を置いています。
今はカウンセリングを受けながら、自分の感情を処理中です。
心が癒えるまで、何年かかかりそうです。
今は私は海外に暮らしていて、物理的にも距離があるので、ちょうどいいです。
父親は仕事人間で、ほとんど家にいませんでした。
なので、家庭のことはほぼ母がやっていたんだと思います。
母は、父に相談もできなかったのかもしれません。
もう今から20年以上前の話ですから、そのころは発達障害のことも今のように知られておらず、弟は幼いころに支援や療育を受ける機会もありませんでした。
なので、母も必死に私と弟を育ててくれていたんだろうと思います。
そう頭では理解できるんですが、私が寂してく、辛くて、もっと両親の愛情を受けたかったのも、事実なんです。
私がアダルトチャイルドと自覚する前ですが、母が親の会で知り合った方が、ご兄弟から絶縁されていると言っていて、なんとなくその気持ち分かるなぁと思いました。
このご兄弟も、自分を守るので精いっぱいなのかもしれません。
だから、本当に、今私の母の状況にいるお母さんたちには、頼れるところには頼って、力を抜くところは抜いて、ほかの兄弟のことも見てあげて欲しいなと思います。
ほかの兄弟にとっても、お母さんとお父さんは、世界にたった一人しかいないですからね。
頼れるところと巡り合うことが第一の難関かもしれません。
だから、私は青木さんやヒロさん、サポートセンター名古屋の皆さんを応援したいです。
「一人でも多くの同じような環境にある方々に届けたいメッセージです。」
「ありがとうございました。」 まる
※ タイトル「発達障害の弟を抱えた私の悲しさ。」はサポートセンター名古屋が考えました。
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