食事会。この時間も働いている支援者達がいます。ごめんなさい。
「青少年生活就労自立サポートセンター名古屋」これが正式名称です。
それがもうすぐ名前が変わります。
「青年生活就労自立サポートセンター」が新らしい名称です。
はい、少年が取れました。名古屋も取れました。
いよいよ、全国制覇に乗り出す時が来たのですか?
いざ、出陣。
「少年の支援はもうしないの?」
「しないわけじゃないけれど、メインは最も得意な「大人のひきこもり」なんだ。」
ハゲは鼻の穴をより大きくして、おいらに話した。
「やっぱり二十歳くらいじゃないとなかなか支援につながらないんですよね。」
「その通り。たまには冴えたこと言うね。」
「まだなんとかなるとか思っている間は支援にはつながらないからね。」
「もうだめだ。」と感じることが支援につながるためには必要なんだ。
「俺の血はサポートセンターの色がしますぜ。」
「はあ?また劇画調か。」
「ふふふふふ。人造人間21号は俺ですぜ。」
出来損ないの人造人間21号です。
バカな話は置いておいてと。
新しい人がフィリピンに来ました。
お母様と、お父様にスカイプにて、スタッフの一部達がここフィリピンからご挨拶をさせていただきました。
お父様、お母様とも泣いておられました。
すこししんみりとしたおいらです。
で、その人はフィリピン到着初日から、人が変わったようになってしまいました。
でも、めちゃくちゃ変わったというわけではないです。
そんなことはありゃしない。
青木さんは日本にいるご両親に支援している子どもたちの報告をしているんです。
昨晩は青木さんの報告文に対してのご両親からの返事を反省会で読み上げました。
「子どもの笑顔を見て涙が出てしまいました。子どもの成長が私たちの生きがいですから。」と青木さんがメールを読み上げて、おいらは「ロビーのトイレ行きます。」と言って部屋を出た。
「そうなんですか。泣いたんですか。」
「お父さん、お母さん泣きました。」
「生きがいなんです。子どもが。」
「笑顔を見られて泣いたんですか。」
「泣いたんだよね。」
「お母さんと、お父さんは、泣きました。」
何度も、何度も言葉に出した。
涙が出てきた。
すべてのお父さん、お母さんは子どもを大切に思っています。
かけがえのない我が子ですから。
子どものためなら自分の命まで差し出します。
俺は確かに、自分の両親の愛をこの時、フィリピンにいて、もう10年近く会っていないにも関わらず、感じたね。
今までなら、俺がしたことを悔いて、その後とても辛くて数日ブルーになっていた。
しかし、今は違うね。
程度の悪いアスペな支援者ヒロだ。
お父さん、おかあさんは毎日欠かさず、このブログを見ていてくださるそうだ。
「お父さん、お母さん。何も心配は要りませぬ。どうぞこの私めにおまかせください。」
先生からも一言よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
お父さん、お母さん、「いいね。」だけは忘れないでくださいね。
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