発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

フィリピンの支援を中断して再び日本へ。でもだめだった。 やす

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食事中ご飯粒を口の周りにつけてしまう。発達障害アル、アル。

 

 

 

大学卒業まで今日を含めてあと3日です。

                       By ヒロ お邪魔しました。

 

 

僕は結局3年間フィリピンでお世話になりました。

でも3年間ずーっとじゃないんです。

最初は1年と6ヶ月フイリピンにいました。

 

 

そのあと日本に1年間帰りました。

そして今度は2年間またフィリピンにいました。

 

 

今日はその日本に帰国した一年近くのことを書きます。

 

 

最初のフィリピン。

一年と半年過ぎた頃、突然母親が日本に帰ってきなさいと僕に言った。

 

 

僕はちょうどフィリピンが慣れてきた頃なので、「このままいたい。」と母親に言った。

 

 

けれど、「お金がないのでフィリピンの滞在はもうおしまいだ。」と言った。

 

 

青木さんとも話し合いが付いていて、僕は強制的にフィリピンから日本に帰らされた。

 

 

飛行機から日本に降り立った時に、すごく不安な気持ちになりました。

また、女性を追いかけてしまうのではないかって。

 

 

今思い返すと、この時にはまだおかしかったんです、僕は。

 

 

僕は、母親が見つけてきたカウンセラーの人にお世話になりました。

とても評判の良いカウンセラーの人だということでした。

 

 

でも、まあ効果はなかったですね。

今になってわかるんですよ。

 

 

僕みたいなアスペルガーの人たちにはただのカウンセリングは効果はないんじゃないですか。

 

 

やはり現場でその時に指摘して、何が間違っていたか、そして何がより良いことなのかを本人に示して、考えさせて、目の前の問題を対処していく。

 

 

そういうやり方が僕には一番合っていました。

現場でやらないと、リアルには伝わらない。

 

 

想像することがとても苦手な僕のような人たちには、やはり現場での指摘が必要です。

 

 

だから相談室でのカウンセリングは僕たちのような特性を持つ人たちにはあまり効果はないんじゃないかと思います。

 

 

カウンセリングを受け続けてみて、「違うな、違うよ。」と、とても違和感を感じていました。

 

 

母親には、「なんかまた不安定な気持ちになってきた。」と何度も言ったところ、今度はまた施設に入所ということになりました。

それで見学に行きました。

 

 

前に入っていた施設とさして変わりません。

なんでなんだろう。

「施設の人たちは何もわかっていない。」と強く感じました。

 

 

「支援している人たちのことを何もわかろうともしない。」

一人一人の持つ悲しさや苦手さに目を向けない限りは、その人の回復はありえない。

それなのに、入所者をひとくくりにしている。

 

 

これじゃあ、だめだ。

意味がない。

何も変わらないよ。

 

 

偉そうに書いて、ごめんなさい。

 

 

でも「結局僕はそこしか行くところがない。」ということで、その施設に入所となりました。

 

 

「施設に入っていれば、何も悪いことはしないだろう。」という母親の考えです。

 

 

母親に対して申し訳ないですが、あまりにも単純に考えすぎだと思います。

 

 

いきあたりばったりでは何も解決にはならない。

僕がなぜあのような行動をとるのか。

そしてどうしたら、そのような行動を改善できるのか。

 

 

母親も僕に似て多分発達障害だと思うんです。

仕方がないよ。

 

 

ヒロさんと同じで、僕も自分の母親を責めることはできない。

母親なりに一生懸命僕のためにしてくれたんだから。

回復した今そう思えるんです。

 

 

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