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発達障害な僕たちから

発達障害と診断された、ヒロ・アオキとその仲間達が日常生活での生きづらさや奮闘を素直に綴っていきます。よろしくお願いします。

父との再開、7年目の真実 ヒロ

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      2011年父親がフィリピンまで会いに来てくれた。

 

 

俺はアスペルガーADHDと診断されている男。

15歳の時に診断されたんだ。

児童相談所につねづね父親は相談に行っていた。

 

 

なかなか支援先がなくて、父親は待てなくて、あちら此方に自分で出かけて支援先を探してきた。

 

 

お寺さんでは朝の修行が大変で、朝の修行前に寺を逃げ出した。

テレビを見てはいけないというのがとても我慢できなかった。

 

 

ドラゴンボールの再放送が俺の生きる糧だったからな。

服装は寺の服のままで逃走したので、直ぐに変質者ということで、誰かが通報してあえなく警察に捕まった。

 

 

NPO法人フリースクールみたいなところにも行ったな。

とても優しいんだよ。優しすぎるくらい。

だからきみが悪かったな。

 

 

そしてやったことがつまらなくて嫌になった。

囲碁、将棋、みんなで歌おう、クッキー作り、

フリースクールはクッキー作りがお好き?

 

 

ああああああ、思い出しただけで、イライラするな、未だに。

自分たちの価値観を押し付けるんじゃないよ。

何も分かっちゃあいないんだ。

 

 

「私たちはあなたたちの味方だよ。」

「学校に行かなくて正解。」

「ここがあなたたちの居場所。」

 

 

あああああああああ、もう。

俺は学校に行かなかったけれど、学校が嫌で行かなかったんじゃないんだ。

 

 

行きたてくても、いじめられるし、勉強はわからんし、集団行動ではいつも注意を受けていた。

 

 

俺は学校が怖かったんだ。

それなのに自分の考えで、みんなもそうだと思うんじゃあねえよNPOの理事長さんよ。

 

 

まあ過ぎ去ったことだから、もういいんだけれどね。

そんなこんなで大変だった。

でもおいらの家族は俺以上に大変だったんだ。

 

 

おいらに振り回された人生だ。

17の時かな、母親をひどく傷つけてしまい、入院させてしまった。

 

 

後で母親は命を取り留めたということは青木さんから聞いた。

それ以来、母親とは会ってはいない。

 

 

父親は7年前にフィリピンまで会いに来てくれたんだ。

父親はフィリピンに仕事の関係で寄る予定があったから。

ピザハットで午後の2時から30分だけ会った。

 

 

父親は言葉少なだったけれど、「自分の人生を支援者さんたちと切り開いていって欲しい。」と言った。

 

 

俺は、「いままで本当にごめんなさい。ゆるしてください。」と言いたかったけれど、言えなかった。

 

 

「本当に頑張って、勉強しているんだね。サポートセンターさんからの手紙を読んだんだ。お前が変わったということを聞いて、俺は信じられなかった。でも、今、お前を見てわかったよ。」

 

 

残り五分になって、店の外に出たら突然話し出した父親

 

 

「日本に帰ってきても嫌な思い出しかないし、周りも変な目でお前を見るから。そして母親はやはりお前とは住めないと言っている。ここで頑張るしかいんだ。」

そう言うと、俺をしっかりと抱きしめてくれた。

 

 

「お前のことを思わなかった日は1日もない。お前は私の大切な子どもだ。」

 

 

父は泣いていた。

ハゲも泣いていた。

フィリピン人スタッフたちも泣いていた。

 

 

俺は食べかけのピザが後片付けされないか心配で仕方がなかった。

「ちよっとピザをテイクアウトしてくる。」

そう言って店内に走った。

 

 

 

本当は涙を見られるのが恥ずかしかったから。

7年目の真実。

 

 

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