警察に捕まって2日後には親戚の人に連れられてアメリカに行きました。
アメリカの滞在は最低でした。
ホストファミリーがひどい人たちだったので。
親切とお節介を履き違えている人たちです。
日曜日とか休みの日には僕を無理やり教会に連れて行こうとしました。
また夜には家族と一緒に聖書を読むように言われたのです。
すぐに母親に電話して、留学斡旋業者に文句を言いましたが、その人たちは何も仕事をしません。
1ヶ月に一度様子を見に来る程度です。
それで色々と注文しても何も改善されません。
早く帰りたいと何度も、何度も母親に電話をしてようやく帰れたのは8ヶ月後でした。
それと僕は英語はできると思っていましたが、発音が全然ダメで何を言っているのかわからなかった。
何を言っているのかわからないととてもストレスになります。
そのうち筆談を思いつきました。
筆談だとわかった。
とにかくアメリカ留学は最低だった。
それで日本に帰りました。
日本の空港に降り立ったら親戚の人と見知らぬ人が僕を待っていました。
見知らぬ人は施設の職員でした。
僕は施設で監禁されることになりました。
その施設は山深いところにあって、高い壁に囲まれていて、どう考えても逃げられないようにしてありました。
食事はひどかった。
囚人に与えるようなものでした。
それと、僕に対しての接し方が、家畜のような接し方でした。
やることはシール貼りとか民芸品の箱を折る作業を毎日朝から昼までやります。
昼食後は無理やり外に出さされて施設内をだらだらと5周歩きます。
これが体育ということです。
そのあとはお昼寝の時間です。
声をだしてはいけません。
瞑想しなさいと言われました。
僕は目を瞑ると女性の◯◯の姿が出てきますんで大変です。
瞑想は妄想に変わってきます。
それが終わるとワークブックで勉強です。
わからないところがあれば手を上げて先生に聞きます。
1ヶ月に一度、お坊さんが来て、長い話をして帰ります。
みんなの睡眠時間です。
そこの施設にいる人はみんな悪そうな連中ばかりでした。
施設内で違反を何回か繰り返すと、丸坊主にされます。
女子もです。
ほとんどみんな丸坊主でした。
僕は違反はしませんでしたが、短く髪を切ることになりました。
髪を切る担当の人が間違えて僕まで丸坊主にしました。
その人は笑っていたので、僕はわざとやったと思って、むしょうにこいつだけは生かしていてはダメだと強烈に思いました。
どうしたらここから出られるのか、仲間も一緒にだしてやりたいと思いました。
でもぼくと同じ考えをもっている囚人は他にもいて、その人のおかげで全員施設からでられることになりました。
僕は18歳になっていました。
施設にいた時に、高卒認定試験に受かったんで、母親が大学に行きなさいと言った。
で、僕は九州の親戚に預けられました。
そこで僕は女性の後をつけまわしてしまい、警察に捕まりました。
その後もう一度捕まってしまいます。
母親は本当に困ってしまっていました。
いずれ大きな犯罪を犯すのではないかと心配したそうです。
どこか息子を支援してくれる人はないかといつも探していそうです。
そんな時に、知り合いの人からサポートセンター名古屋を紹介されて、母親は相談に行きました。
「あなたのことを理解してくれる人たちがいたよ。」と泣きながら僕に話した母親。
泣いた顔を初めて見ました。
「お母さんが悪かったね。本当にごめんなさい。」というと大きな声で母親は泣きました。
それから代表の青木さんが書いた手紙を見ました。
「やすは読んで聞くのと自分で読むのどちらが良いの?」と母親に聞かれたんで、自分で手紙を読みました。
明日でおしまいにします。
ヒロさんがもうすぐ卒業なので、書きたいことがたくさんあるそうです。
早く終わって欲しいと言われました。
僕のブログをたくさんの人が読んでいてくださると言うことを聞いて興奮した僕です。
もっともっと書いてみたいと思いましたけれど、明日でさようならです。
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