発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

アスペルガーな僕が高校を中退したわけ やす

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異性で失敗しました。高校中退そして家庭内暴力に自殺未遂。これが僕。

 

 

 

この2年間サポートセンターの支援を受けて何を学んだのか?

簡単に言ってしまえば「自己理解」と「自己受容」です。

 

 

 

僕は小さい時から、みんなと一緒に何かをやるということがとても苦手な子供だったそうです。

 

 

幼稚園の時から、自分勝手な行動をして幼稚園の先生に迷惑をかけたと聞いていました。

親を呼んでやる劇でも、勝手に劇を抜け出して平気で、砂場で遊んでいたらしいです。

 

 

小学校でもそれは同じで、集団でする行動が大嫌いでした。

みんなと合わせることができなかったのです。

 

 

でも勉強は好きで、どの教科もパズルを解くような感じで、ワークブックなんかを学校でもらうとすぐにやってしまったことを思い出します。

勉強はできた方です。

 

 

学年が進むと、「自分の思うようにやってはいけない。」ということを頭で理解できるようになっていました。

でもそれは我慢していただけなのです。

 

 

中学は最悪で、僕の我慢は限界に近かったです。

それでいやな行事は休んだりして何とか中学を終わることができました。

それは、僕の担任達がすごく理解がある人だったからです。

 

 

ある教師は僕と同じタイプのお子さんを持っていて、そのお子さんから色々と学ぶことができた為に僕への接し方も少しはわかっていたと母に言ったそうです。

 

 

しかし、僕の中のみんなと合わせていくということに対する辛さは年齢が上がっていくにつれてとても大きくなっていきました。

 

 

高校は期待しましたよ。

色々と期待しましたね。

「恋愛」とか「恋愛」とか「恋愛」ですね。

 

 

僕は異性がとても大好きで、(まあ仮名だから正直に書けるんですけれど。そういう意味で、ヒロさんが自分の本心を写真入りとほぼ実名で書いていることが理解できませんね。)

 

 

だから高校にはとても期待した。

でも僕は高校1年で中退した。

不安が強くなって行けなくなりました。

 

 

理由。

「異性がらみです。」

 

 

僕が行った高校は歴史がある高校で、勉強もできるし、部活も私立を抑えて優勝する部があったり、文化部の連中も新聞社から表彰されるという信じられない高校でした。

 

 

そして、大学進学に関しても県下トップクラス。

僕も勉強と「恋愛」と「恋愛」に頑張ろうと思いました。

 

 

でもクラスの異性からとても傷つけられました。

 

 

とにかく消極的になってはいけないと、1年の新学期から、同級生の中から自分のタイプの女の子を見つけて、徹底的にマークしていこうと決めていたんです。

 

 

マークした女の子は同じクラスで10人でした。

隣のクラスにもタイプの子がいたりして、頭が爆発しそうでした。

 

 

それで、自分で生徒手帳に好きな女の子達の名前と特徴なんかを書き記して管理していました。

 

 

そんな僕は大失敗をしてしまいます。

明日にそれを書きます。

 

頼まれたので、適当にサポートセンターのことをよいしょする文章を書いておけばいいんだろうと思っていました。

 

 

でもこうやってもう一度昔のことを思い出して整理していくと、ちゃんと書きたくなりました。

 

 

明日も書きますので読んでください。

ヒロさんが、「僕の文章は分かりやすくていいな。」と青木さんに言ってくれたそうです。

 

 

優しい人なんですね。

ありがとうございます。

 

 

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