発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

サポートセンターを卒業します。感謝!! やす

 

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この2月でサポートセンター名古屋での2年間の英語学習とソーシャルスキル訓練を終了した、やすと言います。

25歳です。

 

 

1週間前に青木さんから、終了ということで何か書いてほしいと言われました。

 

 

文章が下手なんで断ったんですけれど、スタッフが手直しするから大丈夫ということでした。

断りきれなくて書いてみます。

 

 

明日、フィリピンから日本に一時的に帰国して、次のアメリカに向けて準備します。

今日1日でこの国ともおさらばです。

 

 

フィリピン人スタッフにはお世話になりました。

母親で姉で時にはガールフレンドのようにしてくれて、僕に自信を与えてくれました。

このことは一生忘れないほど感謝しています。

 

 

人間付き合いがとても苦手でした。

そんな僕が少しは自信がついて積極的になれたのは、とても嬉しいです。

 

 

本当は3、4年ソーシャルスキルの練習をしないと、社会に適応できないと最初に言われました。

 

 

でも、僕は日本で生きていくのは今後も無理だと思っています。

海外に活路を見出したんです。

だからいいんです。

 

 

フイリピンという国は最悪です。

 

 

飯はまずい。

小さなスーパーの店内で食べる飯よりもっとまずい。

 

 

日本の有名飲食店がマニラにも多数ありますが、全て味は違います。

食べれたもんじゃない。

 

 

 

騒音半端ない。

人がめちゃくちゃ多いですよ。

電車の運行時間はない。

 

 

公共窓口に行っても、ガム噛みながらとかメールしながら仕事をしている。

 

 

それがここフィリピンだ。(マニラに関してで、ヒロさんの住む場所とは大きく環境は違います。BY スタッフ)

まだ当分日本は安泰だと思いますよ。

 

 

そんな嫌な国からおさらばできるので、今はテンションが高くなっています。

 

 

しかし、僕はとても良い経験をさせてもらったと思っています。

それは英語学校で出会ったアジアの連中です。

 

 

貧しい中、働きながらお金を貯めて、英語を学ぶために来ている人たち。

 

 

みんな将来のことを語るときは、目を輝かせています。

自分の国は貧しいけれど、海外の大学を出て、祖国に帰って貢献したい。

どんだけ、自分の国が好きなんだ!!

 

 

僕は日本が大嫌いでした。

息苦しくて仕方がなかった。

だから、彼らの考え方はとてもインパクトがあったのです。

 

 

日本を離れて2年間です。

離れてみると、日本の良さが身にしみてわかってきます。

それと、問題は日本ではなくて、自分にあったんだ。

 

 

日本のここがダメだと大声を出すよりも、自分が変わった方が早いと言うことに気づきました。

このことは自分の人生の中でとても大きな気づきです。

 

 

もう1つの「変われ。」に関しても、考え方が大きく変わったのです。

明日、そのことを書きたいと思います。

 

 

発達障害な僕たちから」

僕は見ていませんでしたね。

当事者が書くブログなんて、社会や親、学校に関しての愚痴ばかりだから、見たくなかった。

 

 

でも、今回初めて色々と見させてもらった。

特に、ヒロさんの存在に驚きました。

 

 

思わず、「ヒロさんが書いていることはフィクションですよね。」とスタッフに聞き返したほどです。

 

(フィリピンに滞在して私たちの支援を受けている人たち。一人一人状況は違います。中には他の日本人との交流を断つ人たちもいます。やすさんも青木以外の日本人とは誰とも交流はありませんでした。)

 

 

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