あと一週間ほどで新刊が。
青木さんが僕の住む町に戻ってきた。
30日の朝に日本を出て、僕の町に着いたのは日付が変わる頃だった。
僕はすっ飛んで行くつもりだったが、青木さんから夜は出歩かない方が良いとのことで、翌朝会う約束をした。
深夜一時に青木さんから電話がかかってきた。
急用に決まっている。
青木さんは空港からホテルまでに利用したタクシー内にバッグを置き忘れたとのこと。
管理がしっかりしている宿泊先のホテルだったので、直ぐにプレートナンバートとタクシー会社の名前を青木さんに渡した。
僕たちのドライバーは元ベテランタクシードライバー。
名前はベン。
ベンは深夜にもかかわらず、空港まで出向き教えられた情報を元にタクシー会社にコンタクトした。
しかし肝心なタクシードライバーの携帯電話は切られたままだ。
そのことをすぐに青木さんに連絡して、僕は寝た。
時間は深夜2時を回っていた。
ボールボーイ東大さん。心臓を捧げろ!!すべてのクライアントの為に!!
青木さんはひどく落ち込んでいた。
青木さんといる11年間、あの人は一度も忘れ物をしなかった。
それほど注意深い人だ。
というより、タクシーや電車の乗り降り、外出するとき、食事を終えてレストランを出るとき、一番最後に残って必ず点検するのがあの人だ。
そんな人だから、忘れ物をしたことにひどく落ち込んでいた。
「なにがあったんですか?」
「忘れ物をするくらいだから何か大変なことでも起こってそのことで、頭がいっぱいだったんでしょ。」
忘れもしないさ。
俺への支援が始まったばかりの頃。
その日俺と青木さんはレストランに行ったんだ。
ご飯を食べているときに突然青木さんの携帯が鳴った。
青木さんは外に出て、話をした。
戻ってきた青木さんは別人のようだった。
顔がフリーズしていたというのかな。
ご飯に手をつけずに、硬直したままになっていた。
専門用語で確か「カタトニア」って昔研修会で学んだな。
「どうしたんですか?」と聞いても反応はなかった。
ふと我に返った青木さんは僕がほとんど食べ終えているのを見て、「僕はもう食べないので、帰ろう。」と言いレジで会計を済ませた。
青木さんの車に乗り込もうとしたら、僕を乗せずにハゲの車は行ってしまった。
僕は何が起こったのか一瞬分からず、車が戻ってくるのを待った。
3分しても戻ってこないので、レストランに戻って、片付けていなかったので、青木さんの残したものを食べていた。
しびれを切らせた俺は青木さんの携帯に電話した。
「はい、青木です。どうしたの?」
「はあ、・・・・・・?」
「青木さん、今どこですか?」
「どこだろう、ここ」
「早く帰ってきてくださいよ。」
「ヒロさんはどこにいるの。」
「何言ってんすか?」
後でスタッフが教えてくれた。
長い期間ハガキを書き続けてようやく、支援を受け入れた女性。
その女性が支援が始まる二日前に自死をしたんだ。
あのレストランでの電話は、お母さんからの青木さんへのその報告だったんだ。
「サポートセンターのスタッフさんたちと一緒にディズニーランドに行くんだ。」
そう喜んでいた彼女が、今はいない。
青木さんには大きな衝撃だったらしい。
きっとそんな衝撃がまた来て、そして青木さんは取り乱した。
俺はそう考えたさ。
明日に続く。
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