発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

支援している人の母であり彼女であり。 まる

 

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 彼には何人のお母さんや恋人がいるのかしら (笑) 私は日本の母でした。

 

 

ロイダさんの日本語のうまさに驚いています。

 

 

彼女は他のスタッフと違って日本語の学校には行っていません。

経済的な問題で、働きながら看護師になり、自分の可能性を伸ばしたいために1人でもくもくと日本語も勉強しているのです。

 

 

そんな彼女だからこそ、この大変な支援の仕事もこなしていけると思います。

 

 

先日のブログの中で「支援している人たちの、母であり、姉であり、彼女であり」という文章がありました。

 

 

私もまた、日本でロイダさんと同じような立場で支援をしています。

 

 

私はもうすぐ60歳です。

この支援を始めた時にはすでに若い年齢ではありませんでした。

 

 

そんな私は、「母はともかくとしても、姉や恋人という接し方はできない。」と青木に言いました。

 

 

「年齢は関係ない。いつまでも綺麗でいたいという思いを持っているかどうかです。」と青木は教えてくれました。

 

 

自分自身が毎日を楽しくそして、また明日は何かもっと楽しいことがあるはずという前向きな思いを持たないと支援はできないのです。

 

 

そう気づいてから、私も随分と若返ったように思います。

 

 

支援とは毎日を一緒に寄り添って進んでいくということです。

 

 

支援をしている20代半ばの男の子がいます。

発達障害の二次障害で高校中退後ひどい家庭内暴力でご家族からお預かりした少年です。

 

 

小学校時代から変わっていると先生方から言われていた彼は、同級生ともうまくいかずにいつも孤立していました。

 

 

ご両親はたんなる怠けだと決めつけ、彼に激しく指導したのです。

 

もちろん、お子さんのことがわからなかったご両親ですからそれは仕方がなかったことだと思っています。

 

 

周りの無理解で随分とひどい状況になってしまった彼です。

 

 

半年近く訪問を続けてようやく、私たちとつながりを持てたのです。

支援開始当初は復学や就労支援などもまったく考えられない状況でした。

 

 

およそ常識ということを持ち合わせていない彼にしつけをしていくことはとても大変でした。

 

 

理解して身につけてくれるのか、支援をしていても自信がもてない私でした。

 

 

3年前からは自立のために一人暮らしを始めました。

私も同じマンションに住み、彼の母になったのです。

 

 

天気がいい日には布団を干すこと、洗濯したら直ぐに乾かさないと臭くなること。

ゴミ出しや電気やガス開通の手続きなどなど。

 

 

まだ完全ではありませんが身辺自立に一年がかかかりました。

 

 

2年前からは簡単な仕事をし始め、今年からは短期のアルバイトにも行き始めた彼です。

 

その彼が最近大きく変わってきたのです!!

 

 

続きは明日になります。

 

 

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