発達障害な僕たちから

発達障害と診断された、ヒロ・アオキとその仲間達が日常生活での生きづらさや奮闘を素直に綴っていきます。よろしくお願いします。

小、中、高とみんなとうまくやっていけなかった 三郎

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僕は小学校からサッカーをやっていて、高校は特待生でサッカーの名門校に入りました。

高校一年で直ぐにレギュラー入りです。

 

 

僕はそれは当たり前のことだと思っていました。

毎日の朝練そして夜遅くまで練習の日々だったので。

人より努力をしてきたという自信はあります。

 

 

先輩部員は僕の存在が面白くないわけです。

それで当然嫌がらせがありました。

僕は嫌がらせを無視していました。

 

 

無視することしか思いつきませんでした。

目指していたのはプロでしたから、そこらへんの連中の存在なんか目にははいってきませんでした。

 

 

嫌がらせはだんだん大きくなっていき、最後はリンチに発展していきました。

 

 

サッカー選手には足は命です。

その足を傷つけるということに僕は怒りを感じ、先輩部員達とやりあってしまいました。

 

 

そのことが学校に知れ渡り、僕は停学処分をくらいました。

おかしいですよね、僕だけが停学処分なんて。

でも結局僕だけが悪者扱いされて幕切です。

 

 

父と母はこのことに関してはぼくの問題だからということで、一切かかわってはくれませんでした。

 

 

未成年の僕は学校に対して何も言えずに、結局何もかもが嫌になって、退学しました。

 

 

その時点で夢だったサッカーを諦めて、勉強に切り替えようとしましたが、サッカーが中途半端に終わってしまったために、勉強にも身が入りませんでした。

 

 

結局そのままずるずるとひきこもりの状態になってしまいました。

 

 

小学校の時に僕は学級委員でした。

みんなは僕を立ててくれていると思っていました。

みんなから人気があると勝手に思っていました。

 

 

でも、ある日曜日に地元のスーパーへ兄と一緒に買い物に行った時に、クラスの連中が楽しそうにゲームセンターで遊んでいるのを見つけました。

 

 

日曜日にみんなで集まって遊ぶという話は聞いていなかったのでシヨックでした。

 

 

結局仲間はずれにされていたんです。

中学校の時も結局、クラスメイトや部活動の仲間とうまくやっていくことができませんでした。

 

 

今振り返ると、僕は思ったことをそのまま口に出してしまう性格で、そして自分より勉強や運動が出来ない連中をバカにするところがあったと思います。

それを悪いことだとは思ってはいませんでした。

 

 

冷静に考えれば、友達もだれひとりいませんでした。

高校を中退して、家にいても、とても居づらいし、何をしたら良いのかさえ分かりませんでした。

 

 

不安や怒りがあせりとなり家庭で暴れてしまったんです。

 

 

そんな僕が環境を変えてもう一度海外でやり直そうと決心しました。

 

 

自分にはもう一度やり直せるならば、やりとげられるという自信はありましたが、サッカーではなく違うことをやりたくて、とにかく英語を必死にやる決心をしました。

 

 

なんとか大学の授業に必死に食らいついて行っています。

 

 

僕はサポートセンター名古屋のスタッフの皆さんとそして僕の大学の友人達やヒロさんとの交流を通して自分を変えている日々です。

 

 

明日は僕の文章が最後の日です。

もう1日お付き合いください。

 

 

たくさんの人たちからヒロさんと同じくらい、励ましのボタンを押していただきありがとうこざいます。

 

 

 

青木さんはスタッフに付き添われてなんとか日本に帰ったそうです。

 

 

日本に帰ってもきっとゆっくりはできないでしょうね。

たくさんの人たちからの訪問や相談の依頼があの人の生きる糧だと思います。

 

 

無事にまたフィリピンに帰ってきてほしいです。

 

 

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