発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

スタッフに叱られて目覚めた自分 三郎

 

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フィリピンに行ってまず最初に思ったのは、「アメリカが良かったな。」ということです。

この気持ちは今も変わりません。

 

 

フィリピンは何もかもがいい加減です。

そしてルーズ。

まあ詳細は違う機会で書きます。

 

 

でも僕みたいな人間にはここでやり直すという選択しかありませんでした。

そういう意味ではフィリピンという国にはとても感謝はしています。

 

 

こちらに来てからいつもいつも僕は青木さんに言っていたことは父親に対することです。

 

 

「今からでも日本に帰っておもいっきりあいつを殴ってやらないと気が済まない。」

同じことを延々と青木さんめがけて話していました。

 

 

青木さんは、聞いているような聞いていないような、はっきりした態度ではなかったので、僕は段々腹が立って来てついに怒鳴ってしまいました。

 

 

「あんた、カウンセラーならカウンセラーらしく、なんか意見を言ったらどうなんですか!!」

 

 

そうしたら、黙っていた青木さんがどすの利いた声でこう言いました。

 

 

「誰がカウンセラー?カウンセリングなんかするつもりはないよ!!」

 

 

「三郎さん、気にくわない人のことをいつまでも思い続けて暮らすのか、自分の将来のことを考えて暮らすのかどっちかにしないと。今は父親を無視でもいいんだよ。」

 

 

確か、そんなことを言ってくれました。

僕は青木さんの言いたいことは全てわかりました。

一切反論はしませんでした。

 

 

むしろそんな風に、「迷わずに、お前はこういう風に生きるんだ!!」と怒鳴って教えてくれる人を僕は求めていたんです。

 

 

今になって冷静にあの時のことを振り返れますが、その時は鼻水と涙でぐちゃぐちゃでした。

 

 

僕は変わりました。

この時から、自分の中にあるものが吹っ切れたんです。

 

 

実際は全てなくなったわけではないです。

フィリピンで昔のことを思い出して、部屋の壁に穴を開けたりしていたことも当分ありました。

 

 

でも変わったのはあの時、スタッフからしっかり叱られた時だと自分では思っています。

 

 

「たった、それだけで、8年間のひきこもりから回復へ向かったの?」

読者の皆さんは信じられないかもしれませんが、そうですと言えます。

 

 

サポートセンターとの出会いがなければ・・・・・・。

 

 

Mr.JOEさんのように25年。

大野さんのように30年。

もしかしたら、自死しているかもしれません。

 

 

勘違いしないでくださいね。

この時点では自信は失ったままですからね。

 

 

怒られたことで自信をつけて、はい社会復帰おめでとう!!

そんなバカなことはないです。

 

 

これから僕の社会復帰への努力が始まろうとしたんです。

 

 

もう二回ほど書かさせてください。

 

 

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