発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

私のおかあさん 青木

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多くの方から情報をいただきました。

少し感動しています。

 

 

誰かのお役に立ちたいという思い。

尊いお気持ち。

 

 

世の中には相手を傷つけたいと思っている人もいますが、誰かのお役に立ちたいという方々も大勢いることを忘れてはいけません。

 

 

コメント欄が充実するのを見て、励ましを得たおかあさんもいらっしゃると思うのです。

 

 

あらためてありがとうございました。

 

 

でも、ふと思うのです。

 

 

子どもの為に始発電車に乗って事務所に駆け込んでくださったおかあさん。

深夜まで何十回と電話をかけ続けてくれたおかあさん。

 

 

その一方でそういったことまでできないおかあさんがいると思うのです。

 

 

そのおかあさん方が昨日のような記事を見られたら、ご自身を責めてしまうのではないかとも思ったのです。

 

 

私のおかあさんは、重い鬱です。

私が小さい頃は私を育てることができずに、私は施設に預けられました。

 

 

おかあさんには友達がいません。

おかあさんは旅行などで外出することは一度もありませんでした。

 

 

毎日、小さな部屋で黙ってこつこつと時給百円程度の内職をしています。

時々小さな背中を丸めて泣いています。

 

 

 

学校の行事に一度も参加してくれなくて寂しい思いをしたことを時々私は思い出しました。

 

 

そんな私に大きな転機が訪れたのは30年前の引越しの時でした。

 

 

古い段ボール箱を整理していたときに、新聞紙に包まれたものが出てきました。

中を開けると未使用の弁当箱です。

 

 

私が小学校に入学した頃大流行したアニメ「巨人の星」のイラストが描かれていた弁当箱。

 

 

誰のものだろうと色々と見てみると、弁当箱の後ろに小さく私の名前がマジックで書かれてありました。

 

 

それは紛れもなくおかあさんの字です。

おかあさんは私にこの弁当箱を使わせようと思ってくれていたのです。

 

 

しかし、実際にそれをつかうことはできなかったのでしょう。

 

 

このことで私のおかあさんに対するわだかまりがなくなりました。

 

 

母の悲しみや苦しみをそのまま受け入れようと決断できたのです。

 

 

今は母親が誇れるような子どもに慣れたらと毎日頑張っています。

私はすでに50歳を過ぎているのですが。

 

 

ヒロさんのおかあさんも大統領のおかあさんも私の母親と同じ状況です。

 

 

それ以外にも30年近くの支援で何十人もの私の母親と同じ状況のおかあさんとお会いしました。

 

 

情熱を傾けることができないおかあさん方のことも考えてこれからも支援をしていくつもりです。

 

 

これからもよろしくお願いします。

 

 

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