発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

死ぬことをやめた先に見つけたものとは?Aさん。 青木

 

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♪〜 粋な黒塀 見越しの松に
  仇な姿の 洗い髪
  死んだはずだよ お富さん
  生きていたとは お釈迦さまでも
  知らぬ仏の お富さん
  エーサオー 源冶店(げんやだな)

        (「お富さん」から歌詞を抜粋)

 

 

 

懐メロで聞いたことがある曲です。

歌い終わったAさんにどこで覚えたのかを聞きました。

 

 

「ラジオですよ。すべてラジオなんです。」

「1日中ラジオをつけていました。面白い歌詞の曲や忘れられないメロディの曲を聞いたらメモしていました。でもすべて歌詞を覚えているわけではありません。」

 

 

「でも楽しそうに歌っていたね。踊ってもいたし。」

「カラオケって楽しいですね。こうしてステージがあってお客さんの前で歌うというのはなんか興奮しました。」

 

 

この日は2時間半カラオケにいて合計14曲も歌いました。

「青木さんはドラゴンボールの曲を歌っていましたね。今度僕もその曲に挑戦したいです。」

 

 

10日間のフィリピン体験旅行を本日終えてAさんは日本に帰ります。

 

 

昨晩一部のスタッフ達と夕食会を行いました。

注文した料理が出てくる前にAさんから私に話しかけてくれました。

 

 

「フィリピンでやっていきたいんですけれど、どうすればいいですか?」

「もう家でじっとしているのは嫌です。」

「まだ僕は大丈夫ですよね。」

 

 

私たちがひきこもっている人たちから聞きたい言葉がAさんから帰ってきました。

 

 

「なんでフィリピンでやりたいの?僕なら日本がいいけれど」

否定的な質問は必ずします。

 

 

「食べ物は美味しくない。交通渋滞はひどい。スリや万引きが横行している。何ももがいい加減な国だから、僕はあんまり好きじゃないな。」

 

 

 

一時の思いで決断して欲しくないからです。

自分が良いと思っている国をけなされたことで少しムッとしたAさんです。

 

 

「俊介さんと僕は同じです。あの人は10年間家から出られなくていつも死ぬことしか考えていなかったって言ってました。でも正直死ぬのが怖くてずるずると時間だけが経つていった。」

 

 

「どうしたらいいのかわからなかったんです。何をすればいいのかもわからなかったんです。俊介さんも僕もみんなについていけなかったんです。」

 

 

「みんなについていけない自分はこの社会では必要とされない。ゴミだクズだと自分を思い込んでいました。ゴミは焼却されなければいけないんです。そのままだと悪臭を放つだけだから。」

 

 

「でも俊介さんが言っていました。『人生は楽しいもんだな』って。消え入るような声でしたけれど。僕もフィリピンに来てすぐにそう思いました。」

 

 

「だったらすぐに行動するべきですよ。もう後悔だけはしたくないからね。」

「あの人に任せておけば色々とやってくれますよ。」

「世界中で一番僕のことを知っている人だから」

 

 

「俊介さんの言葉が僕の背中を押してくれました。」

「同じ仲間です。」

 

 

 支援者は泣いたらいかんのです。

絶対に涙を見せてはいけないのです。

私は支援者失格です。

 

 

「トイレに行くね。」とAさんに告げてその場を離れて一人静まりました。

感謝な気持ちが強く湧き上がってきました。

 

 

トイレで顔を洗い戻った時にはとびきりの笑顔でAさんにこう言いました。

 

 

「よっしゃ!!新しいことをこれから一緒に始めよう !!」

 

 

私はAさんと別れて次の目的地に向かいます。

 

 

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