発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

小学校、中学校とついていけなくて当然だった発達障害の僕 大統領

 

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女性が苦手な僕なんよ。

特に同世代とそれより下の人が特に苦手です。

苦手というより怖いです。

 

 

スタッフさんと色々と話していて思ったのは、小学校や、中学校の時僕はいじめられていました。

その時にクラスの女子からもひどい言葉を浴びせられていました。

 

 

「なんでそんなに太っているの?豚?お父さんとお母さんは豚でしょう?」

「お前くさいから近くに寄るな。」

「こいつとは同じ班になるなら学校にはもう来ない。」

 

 

みんなクラスの女子から言われた言葉です。

小学校も中学校も男子からも女子からも言われていました。

それも学校にいる間はずーっとです。

 

 

勉強は先生の言っていることがわからなかったから寝たふりをしていました。

だからテストはひどい点でした。

 

 

運動神経はゼロです。

走っても女子より遅いし、ドッチボールの球を投げてもまっすぐ飛ばすことができませんでした。

 

 

縄跳びは一回で引っかかってしまうし、集団行動は恐怖でしかありませんでした。

 

 

確か青木さんの記事で、「集団行動でいつも失敗してしまって、先生から殴られた。」そんな記事を読んだ記憶があります。

 

 

僕だけじゃなかったんだって安心したけど、当時は本当に学校が怖くて仕方がなかった。

今になってわかるんよ。

 

 

程度の悪い発達障害の僕は、小学校、中学校についていけなくて当然で、ついていけない僕が悪いわけじゃなかったんよ。

 

 

みんなができるのに自分だけできないということを毎日確認しに学校に行っているようなものだった。

だからどんどん自信をなくしていったんよ。

 

 

 

いつもいつも、みんなから馬鹿にされ、排除されていたうちなんよ。

小学校の時から死んでしまいたいと思っていた。

僕はこの世の中にいてはいけない子どもだと思っていた。

 

 

悲しいね。

寂しいね。

 

 

クラスの女子たちが集まって、僕の方を見て笑っている。

机の引き出しから教科書とノートを出した。

 

 

表紙に黒の太いマジックで「死ね」と書いてあるのを発見した時はその場にこれ以上おれなくなって、そのまま家に帰ってしまった。

 

 

それから学校には行けなくなった。

 

 

だから女子は怖い。

女性が怖い。

また僕を馬鹿にするんだ。

 

 

人を殺すのに刃物はいらんよ。

言葉で十分だよ。

 

 

そんなことをスタッフに話した。

スタッフはただ黙って聞いているだけやった。

 

 

わかっていますよ。

もう長い事支援を受けているんやからね。

僕が次はなにをするべきか言われんでもわかる。

 

 

喫茶店の店長さんに「クリスマスイブは予定がありますので、店長さんとお嬢さんの僕だけで日曜日の午後でしたら時間が取れますので宜しくお願いします。」

 

 

「こう言おうと思うけれどどうでっしゃろ」とスタッフに聞いたら90点と言われたんよ。

 

 

『あと10点はなに』と聞いたら、『どんな事が聞きたいのか事前に教えてもらえると、僕は少しはお役に立つ事を話せると思います。お会いする日の一週間前に質問を教えてください。』

 

はい。それでその通りに店長に言ったら、「そんな堅苦しいもんじゃないけどな」と笑いながら話してくれた。

 

 

僕はクリスマス間近の日曜の午後に会うことになった。

 

 

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