発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

一人の女の子と児童館の人のお話 青木 美久

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大統領さんが体調を崩していますので数日ブログをお休みするとの連絡が入りました。

青木が変わりにブログをかかさせていただきます。

 

 

 

 

ある児童館で聞いたお話しです。(プライバシー保護の為設定を変えてあります。)

 

 

家庭に様々な問題があり、学校を休みがちになっている一人の女の子がいました。

 

 

なんとか励ましたいと考えた児童館の職員の皆さんは、

ボランティアで児童館に来ているバイオリンの先生に個別に指導してもらうことにしたのです。

 

 

誰もがバイオリンを手にすることはできません。

バイオリンを手にすることは特別なことなのです。

特別なことを通して自信を身につけてくれたらと職員の方々は願ったのです。

 

 

しかし色々な問題がありました。

児童館は一人の子どもだけを特別扱いすることはできません。

 

他の子どもたちにも今まで以上に手厚い支援をすることはもちろんです。

 

 

その女の子が手にするバイオリンをどのように調達するのかも問題でした。

また児童館に来続けるようにと職員の方々が声かけをしたり、来所したら帰るまでその女の子の状況を見続けていました。

 

 

 

職員の皆さんがその女の子のことを一生懸命思い続けていたのです。

 

 

先生方の思いがやがて女の子にも伝わっていきバイオリンを手にします。

 

 

指導してくださる先生の教え方は上手く、日に日に成長していく彼女のバイオリン。

 

 

最初は言われるままにやっていたのですが、徐々に弾ける楽しさを知り、やがてとりつかれたように一生懸命練習しだしたのです。

 

 

女の子に笑顔も戻ってきました。

 

 

 数ヶ月経って、一度コンクールに参加して舞台に立たせてみたらどうだろうとの提案が職員から出ました。

 

 

衣裳は職員の人たちのお手製です。

わずか数ヶ月間の練習の成果を大きな舞台で大勢の前で発表しました。

 

 

会場で聞き入る人たちも、その女の子の姿になにかを感じ取ったのでしょうか、拍手がひときわ大きかったそうです。

 

そのお話を聞く中で私の幼い頃のことが思い出されました。

 

 

私の父はアルコール依存症、母は「死んでしまいたい」が口癖の鬱病でした。

当時、三畳と四畳半の小さな住宅の長屋に住んでいました。

 

 

親戚づきあいもなく私たち家族は地域社会の中で孤立していました。

 

 

その日の食べるものにも事欠く貧困生活でした。

 

 

父親が酒を飲んで暴れたら、家にかくまってくれた水野さん。

夕食のおすそ分けと鍋に入った肉じゃがを持ってきてくれた山田さん。

電気が止められた時に泊めてくださった大野さん。

 

 

 

そんな私たち家族を近所の方達が支えてくれたのです。

 

 

 

 大変な状況の中で孤立している子どもたち。

でも、誰かが自分のことを見守ってくれていると感じたならば、絶望せず、しっかりと生きていられると思うのです。

 

 

私は、私を支えてくれた近所の人や、その女の子を見守った児童館の方々のような、誰かになりたいです。

 

 

その女の子は今中学生になり児童館でお手伝いをしています。

 

 

 

私たちは沖縄にて新たにボランティア活動を開始する準備をしています。

小さな活動ですが関心を持っていただければ感謝です。

 

 

 

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