発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

無気力の僕がやる気を出せるようになった3つの理由 その③ 大統領

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1、信頼できて寄り添ってくれる人を見つけること。

2、先行く仲間との出会い。

 

 

今日は3つ目のこと。

それは「できたという体験」です。

 

 

できなかったことが積み重なっていき僕は自信を失ったんよ。

 

 

小、中とみんなができているのに自分ができなかったこと。

それがだんだんと増えて行ったんよ。

 

 

 

そして自滅。

 

 

 

だから逆に考えてできなかったことを一つ一つできるようにしていく。

 

 

それはうちにはとても遠い道のりだったんよ。

自分が思っていた以上にできていなかったことがあったからね。

 

 

朝起きて顔を洗わないこと。

風呂に入って体を洗わないこと。

着替えないこと。

 

 

こんな基本的なことですら、わからなかったからスタッフに指摘されて初めて自分はできていなかったんだとわかったんよ。

 

 

「どうしようもない子どもだったんやな」

そう思われたお母さんは安心なんよ。

きっとお子さんは色々と躾が出来ているんよね。

 

 

あのね、サポートセンター名古屋で支援を受けている人たちの多くはこんな基本的なことですらできていない人が多いんよ。

 

 

だから同級生や周りの人たちともうまくいくことはないよね。

 

 

あのう、社会が悪いとか。

学校が悪いとか。

そういう前に自分の姿を鏡でよく見ないといかんわね。

 

 

できなければいけないのにできていないことを一つ一つできるようにしていく。

 

 

これは小さい時からやっていれば問題ないことなんやろうけどね。

まあ、まさかうちの子がこんな基本的なことをできないとは・・・・・・。

 

 

そう思われるお母さんがほとんどじゃないんかな。

まあ昔のことはどうでもいいんよ。

できないことをできるようにする。

 

 

ただそれだけのこと。

 

 

でもね、これで終わりじゃないんよ。

できなかったことをできるようにする。

縄跳びができるようになりました。

 

 

はい、うちのことです。

体操の形がおかしい。

はい、これもうちなんよ。

 

 

こんなこともやらされました。

なんでやねんと言いながらやっとったわ。

ちいっともおもろないでこんなこと。

 

 

そして次の段階や。

 

 

今までは同世代の子に追いつくことが目標やったんや。

この次は同世代を追い抜かすことや。

そのための練習なんや。

 

 

例えば自分がやってみたいことを考える。

でもなほとんど考えつかんのよ。

結局スタッフさんが考えたメニューになったんよ。

 

 

やっぱり英語を話せるようになる。

これはかなりの自信になるよ。

だって同世代の子なんてほとんど話せんでしょ。

 

 

「同世代の子ができないけれどうちはできるんや」ということを増やしていくこと。

これが次の練習の中身です。

 

 

「どうや」ということが少しずつ増えていくんよ。

まあ毎日が特訓やよ。

大変なんよ。

 

 

スタッフさんは気持ちが切れないようにと、気分転換を入れながらやり通すようにしてくれたわ。

ビリャードできますか?

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この人よりもうちがうまいんや

 

うち、うまいんやで。

ダイビングの免許持っているんや。

ボクシングのリングで試合したことありますか。

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    運動神経ゼロのうちも海の中では自由自在や

 

 

サーフインもできるで、ロングボードだけやけれどな。

波に乗るという感覚はおしっこちびりそうになるくらいの感覚なんやで。

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             借り物の画像です

 

ジエットスキーを南太平洋目指してどこまでもどこまでも突き進むんや。

最高やで。

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インターナショナルハイスクールに入学してな、イギリス人やドイツ人の友達もできて家に遊びに行ったんよ。

なんやのドイツ人の鼻の形。今も忘れられへんわあの大きさ。

 

 

そうそう、ぼくのあだ名の由来は、ボランティアに行った時に、よそのNGO団体の人たちから、「フィリピンに移り住んで、一生懸命勉強して、大統領になって、この国から貧困をなくして下さい。」とお願いされたんや。そしたら支援している子供達から大統領と呼ばれるようになったんや。

 

 

正直な、うちな、誰からも相手にされへんかった子どもや。

誰もうちのことなんか関心持ってくれへんかったん。

小学校も中学校も仲間ハズレや。

 

 

それはなとても悲しかったな。

いつも寂しかった。

なんでうちは一人ぼっちなんやって。

 

 

そんなうちをフィリピンの貧しい子供たちが仲間に入れてくれたんよ。

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           あんたには負けるは。

 

 

本当にな、そのことがうちにとっては一番感謝したいことや。

あの子どもたちがうちの一番の支援者やと思うわ。

 

 

 

以上や。

あかんなテイッシュくださいな。

鼻水たれ放題や。

 

 

ほんなまた今度。

 

 

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