発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害者支援 みんなから毛嫌いされても学校が好きだった僕 青木

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過去の記事を読んでいただければ幸いです。

smilehousejapan.hatenablog.com

 

 

確か小学校4年の秋ごろ救急車で運ばれて入院しました。

退院してからは自宅で過ごしていました。

担任の先生が何回か自宅に来てくれたけれど再び学校にいくことは怖くてできませんでした。

 

 

3月も終わりごろになって4年の担任の先生が一人の先生と一緒に自宅にきてくれました。

「青木くん元気ですか?」

 

 

黒縁メガネの奥が微笑んでいました。

「いじめられても負けちゃああかんぞ」

「先生は青木くんのことを待っているからね」

 

 

そんな感じで言ってくれたと思います。

今からもう40年前にもなりますが、昨日のことのようにはっきりと今でも覚えています。

 

 

「始業式には先生待っているからな。何も心配することはない。一緒に五年生になりましょう」

その言葉にほっとしました。

 

 

5年、6年の担任だった川島先生です。

もう一人の先生は4年の担任だった野村先生です。

野村先生は新卒、川島先生はベテランの先生でした。

 

 

このお二人の先生との出会いが僕の人生を大きく変えてくれるきっかけとなりました。

3年生までの僕は勉強が全くわかりませんでした。

運動も苦手でしたし、同級生とも話すことさえできませんでした。

 

 

おまけに基本的な生活習慣も身についておらず周りの同級生からは嫌われていました。

毎日服を着替えることや爪を切ること歯を磨くこと・・・・・・。

誰も僕と友達にさえなってくれませんでした。

 

 

いじめられました。

殴られたり、蹴られたり、つばを吐かれたり。

用水路に突き落とされてずぶぬれになって自宅に帰ったことが何度もありました。

 

 

それでも僕は学校が好きでした。

クラスの誰かが面白いことを言ってクラスのみんなが笑う。

その場が僕は好きでした。

 

 

また家が貧しかったので、給食で腹いっばい食べられるのがとても嬉しかったです。

給食で余ったパンを家で待っている妹やお母さんに持っていくことも嬉しかったです。

 

 

 

始業式に配られる教科書。

家にはテレビや本がなかったので、教科書を見ることはとてもわくわくすることでした。

 

 

小学校が大好きでした。

だから大好きな小学校に行けなくなって僕はとても悲しかったです。

 

 

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