30代の人が今フイリピンにきています。
その人のことをAさんとします。
Aさんは小学校の時からいったりいかなかったりしていた人です。
友達はいなかったらしいです。
でも日本じゃないどこかでならまたやり直せるんじゃないかと考えて自分で英語を勉強していた人です。
本を通してひたすら自分で勉強していた人との情報を日本の事務所からいだだいておりました。
フィリピンに到着して青木さんが積極的に英語を使うように少し背中を押してあげたんだ。
言葉が話せるようになるにはどれだけ使ったかが一番大切だからね。
しかし・・・・・・。
コーヒーショプで注文をしようとした時、おじけづいて全く話せなかった。
モールで小さなものを購入させようとしたがやはり話せなかった。
その出来事がその日のうちにに俺宛に寄せられた。
そんな簡単なこともできないのなら、前途多難だな。
確かに小学校から行っていないのなら無理かも。
でも本人さんは環境を変えて一からやり直したいとの希望を待っている。
どうすればいいのか?
話したことが通じたという経験をさせてあげたいと思ったんだ。
一度の経験でも自信となるからね。
Aさんを乗せた飛行機は2時間遅れで俺の街に着いた。
即食事。
食堂でご対面。
アイコンタクト良し。
服装チエック。
清潔度チエック。
俺の勘ピューターがはじき出した結果は、やっていけそうだった。
そして!!
その場に青木さんに次ぐ支援者がいたことがAさんには幸いだった。
その名をLOIDAと言います。
日本語堪能。
元英語の先生にして看護婦という異色の経歴の持ち主。
青木さんから全幅の信頼を寄せてもらっているスタッフです。
Aさんが
席に着くや否や、素敵なSMILEビームが炸裂した。
一呼吸おいて、Aさんが英語で話し始めたんだ。
驚いたね。
びっくりしたよ。
ハァ?
注文取りのお姉さんの存在も眼中にないほどに会話が止まらないんだ。
使っている英語は簡単なものだったけれど。
驚いたのは会話が止まらないことなんだ。
食事が揃ってもやめないんで申し訳ないと思ったけれど、「ご飯が揃いました。まずは食べませんか」とおいらが言う羽目になったんだ。
汁物の蓋を取ったらまたそこから会話が始まった。
「せっかくの料理ですから、温かいうちに食べましょうよ。」と俺は促したんだ。
俺自身腹がへっていたからね。
食事後小一時間話しが止まらないんだ。
俺は、店を出たところで青木さんに報告したんだ。
俺はやけに興奮していた。
「青木さん、大変ですよ。Aさん英語で話していますよ。」
「それも会話が止まらないんです。」
「そうです、ロイダが担当しています。」
青木さんの「そうか、ありがとう」だけで俺の報告は終わってしまった。
これは一大事だ。
のんきに「あっそうか」で済むことじゃないんだ!!
フィリピンの夜空に連なる南十字星に向かって吠えたい俺がいた。
俺今日久しぶりにボランティアに行きます。
明日また報告します。
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