でもねおいら疑問なんです。大野さんの30年間って何だったんでしょうか。
東京大学大学院を卒業後50歳になるまでひきこもった大野さん。
約30年近くひきこもったことになりますね。
その人は俺に勉強を教えてくれるために一年間ほど俺と一緒にいてくれた。
だから俺は大野さんのことをよく知っているんだ。
ひきこもっていた状態から一歩踏み出しここフィリピンにやってきた大野さん。
青木さんが支援を開始してからわずか数ヶ月で俺の勉強を教え始めた。
と、同時にフィリピンの大学にも通い始めたんだ。
一日ごとの変わりようなんかは感じられないが、ひと月ごとだと本当におおきくかわっていく姿を俺は見ている。
その人が二年間の支援を受けた後、今は昔の自分のような状況の人の支援をしている。
すごいことだ。
まじ感動します。
大野さんは「青木さんの情熱が僕を動かした」と言ってますがね。
情熱だけで30年間のひきこもりから回復できるもんじゃないですよ。
確かにハゲの情熱はすごい。
すごいというより、恐ろしいまでだ。
体から炎が立ち上っているのが見えるんだ。
しかし、情熱だけでは無理だと俺は思う。
最近俺が取り上げているユニバーサルデザインもTEACCHも役に立ったのかもしれないな。
しかも、情熱だけなら他の支援者たちも持っているだろう。
うまく言えんが、何かがあるんだよ。
その何かは俺の頭ではまだよく分からない。
「自分の家族のように思っている。」
うーん、やっぱりうまく言えんな。
で、思ったんだ。
30年近くのひきこもっていた人を回復できるんなら、小学生や中学生の子供たちの不登校なんてとても簡単じゃないのかって。
言い忘れだけれど、30年近くひきこもっていた人への支援は大野さんだけじゃねえんだ。
他にもいらっしゃるよ。
ほんとすげえことだよ。
話は元に戻るけれど。
違うらしいね。
30年ひきこもっていた人への支援より小学生、中学生の支援の方が格段に難しいらしい。
というより、支援ができないとハゲは言っていた。
意味がわからん。
でいろいろ聞いたけれどね。
1、長期間ひきこもっている人の選択肢はサポートセンター名古屋と一緒に歩んでいくかまたは、そのままの状態で死ぬまでいくのか。
二つにひとつ。
とてもわかりやすい。
サポートセンター名古屋と歩むと決心したら、おおまかな回復までの道筋は見える。
ご両親が支援に口出しして支援がうまくいかなくなることもない。
一方小学生、中学生は学校に所属している。
つまり支援をするなら学校と協力してやらないといけない。
担任がどれほど理解しているかは支援を成功させる上でとても大きな要素だ。
そしてご両親。
ご両親が支援に対して考え方が違うことはよくある。
同じ考え方でないと支援をおひきうけできない。
そこに姑さんなんかが意見を言ってくることがある。
つまり支援をしていく中で僕たちサポートセンター名古屋が関わらなきゃいけない人たちが大勢いるんだ。
そんなことで肝心の当事者への支援がうまくできないんだよ。
子育てを巡って夫婦間や嫁姑と対立してその仲裁をするということは支援とはなんも関係ないからね。
無理だね。
義務教育のうちは支援なんかできないよ。
ということをこの前話していました。
なんかわかったようなわからないような・・・・・・。
でも青木さんがよく言っているのは学校には行かなければならない。
「学校の集団生活の中でしか身につけられることがあるから。」
「なんで新聞社の方へ取材をお願いしにいかないんだ。」
俺はハゲに聞いたんだ。
「東京に事務所がないからやらない方が良いということがわかった。」
事務所がないと信用してもらえないらしい。
どうすんだよ。
80名だろが。
なんとか30名を目指すしかないな。
俺さえ日本に帰国して講演会に出れば満員盛況なんだろうが。
残念だ。
ハゲは一生懸命頑張っております。
皆様どうかお知り合いにこの講演会のことをお知らせください。
宜しくお願いします。
講演会参加お申し込みは
サポートセンター名古屋事務所052-564-9844
または青木携帯 090-7308-8145 までご連絡ください。
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