発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 ブログをやってよかった2つの点 ヒロ

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 宣伝しろと言われましたんで、7月25、26日両日ともまだ開いております

 

 

俺はいやいやブログを書き始めたんだ。

ハゲが「書くといいよ。」と言ったけれどね。

「なんで書かなきゃいけないんだ。」って言っていたことを思いだすな。

 

 

文章を書く練習になるとか俺しか書く人いないからとかいろいろとおだてられて、書くことになったと思いだす。

もともと書くことは嫌いじゃなかった。

 

 

 

いじめられていた時、いつか必ずいじめた連中にいじめたことを後悔させてやるつもりで書き始めた日記があるんだ。

サバイバルナイフをサポートセンター名古屋に自主返還したとき日記は終わった。

 

 

そんなこんなで、ブログを書くことにはまってしまった俺。

毎日書かないと気が済まなくなってしまった。

 

 

 

ブログをやってよかったことが2点あるんだ。

 

 

1、自己理解の助けになったこと。

毎日起きた出来事を思い出して文章にしてブログに書き綴っていると、自分を客観的にみることができ始めた。

 

 

もちろん自分一人ではどう書けばいいのかわからなかったので最初のうちはスタッフに助けてもらった。

スタッフと二人三脚で今日の出来事を振り返る。

 

 

何が起きたのか時系列にする。

どうしてそのようなことが起きたのかその理由を考える。

そしてどうすればよかったのかを一緒に考える。

 

 

ブログは俺の自己理解のためのツールになっていった。

 

 

2、たくさんの人とつながることができた。

 

ひなママさん、ヒルマさん、すばるさん、そして以前に励ましてくれた人たちまた、クリックを押して励ましてくれているたくさんの人たち。

俺のお母さんのように振舞ってくれたり、優しいおねえさんだったり、人生の道先案内人のようだったり。

 

 

俺は本当に程度の悪いアスペルガーで俺への支援は大変なんだ。

多い時にはサポートセンターのスタッフが4人がかりで24時間俺の支援に当たってくれた。

とにかくこれ以上俺を不利益にさせてはいけないとのことから。

 

 

しかし、サポートセンター名古屋の腕利きの支援者たちだけでは俺への支援はたりなかったんだな。

失礼な言い方かもしれないけれど、最後のひとさじがあって料理は完成するみたいなね。

 

 

その人たちとのネットでの繋がりは俺への最後のスパイスだったんだろうね。(いつのまに支援が終了したのですか By スタッフ)

 

 

なんでこんなことを書くかというと。

昨日ヒルマさんから俺のブログ宛てにコメントをもらったんだ。

そのコメントはすでにみなさんが見られるようになっています。

 

 

普段は難しい文章を書く方なので正直俺の頭の程度では理解できないんだ。

けれど昨日のコメントはよくわかったんだ。

アップされたコメントを読んで、俺はその場に立ち上がって、人差し指を前に突き刺してこう叫んだんだ。

 

 

 

そうなんだ。

そういうことか。

ヒルマさんわかったよ。

 

 

興奮すると俺はじっとしていられないんで、部屋から出る。

アパートから出て住宅街の敷地内をぶつぶつ言いながら歩く。

 

 

まあ、何が興奮したかは明日また書きますわ。

実は今、日本からお客さんが俺の街に来ているんです。

その青年の接待で忙しくしている俺です。

 

 

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