発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 東大大学院修士課程終了から20年のひきこもり 大野 隆

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 私は勉強が好きで学校の成績も良かったです。

小、中、高と問題なく学校生活を送っていました。

大学は東京大学に進学しました。

 

大学でも何も問題はなく卒業までこぎつけました。

卒業後は大学院に進み勉強を続けていました。

 

しかし、大学院で不安が強くなったのです。

人と会うのが怖いと感じたのです。

ゼミ内での人との関わりに強いストレスを感じ、周りとうまくコミニュケーションができなくなりました。

 

不安は日々大きくなり、医者にかかったところ、自閉症傾向を元々持っていることを診断されました。

診断されただけで、この不安とどう対処していけば良いのかはわかりませんでした。

 

 

一度感じた不安は日々大きくなっていき、とうとう大学に行くことが怖くなってしまい、家から出られなくなってしまいました。

 

 

なんとか気力振り絞り、休み休みですが、修士課程終了まではこぎつけました。

しかし、担当教授からは就職のための推薦が受けられませんでした。

そのことは良い就職先につけないことを意味します。

 

 

私の人生はここで終わったような気がしました。

東京大学大学院まで進んだにもかかわらず良い就職に付けなかったのです。

 

 

この現実に私は耐えられなくなり、家から出られなくなってしまいました。

途中に、短期のアルバイトにもついたのですが、長続きはしませんでした。

 

 

時間が経つのは早いもので、10年、20年とただ時間だけが過ぎていきました。

 

 

50歳を過ぎた頃、義兄が、「青少年生活就労自立サポートセンター名古屋」の青木さんに相談をしました。

 

 

青木さんからフィリピンでのボランティア活動への参加をすすめるハガキがきました。

まったく興味もありませんでしたから、無視を決め込みました。

ハガキは6ヶ月間続けてきましたが、さすがにしつこいと感じましたので、ハガキをやめることを言うために会いました。

 

 

20年ぶりに家族以外の人とお話をしました。

青木さんは、私に優しく語りかけてくれました。

青木さんとの話し合いが終わった時、私はフィリピンに行く決心をしました。

20年間家にひきこもっていた私の決断に家族が驚いていました。

 

 

青木さんの情熱が私の背中を押したのです。

2週間のフィリピン滞在は私の価値観を変えてしまいました。

また、生きる希望を見つけることができたのです。

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    フィリピンのボランティアで小学校6年生と

 

 

次回、フィリピンで私が感じた事そしてひきこもりからの回復への決め手をお話ししたいです。

 

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   フイリピンバギオにて 観光をしました

 

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