発達障害な僕たちから

発達障害と診断された、ヒロ・アオキとその仲間達が日常生活での生きづらさや奮闘を素直に綴っていきます。よろしくお願いします。

発達障害支援 高校やめて死ぬしかないと思いました 名無し

 

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 速攻でお名前と彼氏の有無をお聞きしましたが・・・ 

(本文中の作者とは一切関係ありません by ヒロ)

 

 

二週間で僕は自宅に帰ることになりました。

お金がかかりすぎるからです。

「今度暴れたら少年院か病院に入院させるから」と父親に言われて自宅に帰りました。

 

 

引きこもる場所がビジネスホテルから自宅に変わっただけです。

夏休みにすでに入っていて、僕の想いは夏休み後に再登校することでした。

しかし、時間だけがどんどん経っていきましたが、僕が抱える不安は減ることはありませんでした。

 

 

 

途中親が「不登校の子どもを持つ親の会」や保健所に行ってそこで聞いてきた話をプリントにしてぼくに渡したりしてくれましたが、まったく興味はありませんでした。

 

 

新学期が近づき始めると僕の中のイライラは最高潮に達しました。

夜中に大きな声で怒鳴ったり、壁や机を叩いたりし始めました。

 

 

そしたら、またサポートセンター名古屋の青木さんが来ました。

「1度1週間程度今のこの場所から離れて落ち着いてみないですか」と言われました。

 

 

このままここにいてしまうと気が狂いそうな感じがしたのでフイリピンに行ってみることにしました。

フィリピンではよくしてもらいました。

 

 

マリンスポーツや遊びを楽しみました。

しかし、僕の頭の片隅には9月から高校の同級生のところに戻りたいという思いが離れなかったことも事実です。

 

 

フイリピンでの一番の収穫はフイリピンにいるスタッフの人たちが僕と同じような不安を高校生の時に持っていたことです。

僕のことをよく理解してくれました。

そして、その問題をどうすれば良いのかも教えてくれました。

 

 

 

もちろん僕の不安を解消するには一週間は短すぎましたが、僕は少し自信がついた気がしたので日本に帰ったら9月からの再登校に踏み出すことを決めました。

 

 

ひきこもっていながらも学校の勉強は続けていましたから、勉強の遅れは何も心配していませんでした。

それよりもクラスの雰囲気がこの数ヶ月の間でまた変わっているんだろうと思い不安になりました。

 

 

再登校の日、キリキリする胃が気になりながらも頑張って行きました。

結論。

 

僕が思ってた以上にクラスの雰囲気は変わっていました。

僕が行けなくなっていた時よりクラスの雰囲気がもっと良くなっていたんです。

完全にノックアウトされた感じです。

もう僕は同世代の元に帰ることはできないんだとはっきりわかった瞬間でした。

 

 

高校の授業を早退しました。

自宅に帰って机をひっくり返したり、壁に穴が開くぐらい素手で何度も叩きました。

 

 

でも、もうあの場所に帰ることができないとはっきりした分ほっとしたことも事実です。

もうイライラも焦りもなくなったわけです。

そして、僕の中で張り詰めていた糸も切れてしまいました。

もう死ぬしかないとはっきりとわかったのです。

 

 

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